筑波大学社会国際学群社会学類4年の冨岡洋輝です。
「4年生?お前誰だよ」なんて声が聞こえてきそうですね。おっと、4年生の中からも聞こえてきましたね。そう、僕が筑波大学に在籍していた期間は2年間だけになります。残りの2年間は同志社大学という関西の大学に通っていました。コロナとともに筑波大学に入学し、コロナより先に卒業になりそうです。
そんなことはさておき、先ほど少し触れたように僕は編入学という形で筑波大学に入学してきました。3年生から別の大学に入学するというやつです。
今回はそんな話も含めて僕が大学4年間のサッカー人生で得たものをというのを伝えたいと思います。
ここで初めに伝えておきたいことは、僕は本当にたくさんのものを4年間で得ることができました。ですが、それは決して自分の目標としていたものではなかったということです。サッカーで誰よりも上手くなりたい、トップレベルでサッカーがしたいという思いがありましたが、それは叶うことはありませんでした。
そんなサッカーで表舞台に立ったことのなかった僕がいつも自分にいいきかせてきたのが、「結果が全て」ということです。
確かに、僕はこの4年間の大学サッカー生活でいわゆる「努力」というのをしてきましたし、大学サッカーを通して多くの経験をし、多くを学ぶことができました。人生という枠組みで考えた時にはサッカーを通して得たこれらのもののほうが価値があるのかもしれません。ですが、「結果が全て」でやってきた僕の大学サッカーは、その考えの元で評価すると失敗だったとしか言いようがありません。
それでも、今回は得たものを伝え、少しでも読んでくれている人も何のためにサッカーをするのか考える機会になればと思います。
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僕は、大学2年間同志社大学に通い、残りの2年間を筑波大学に通うことを決めました。つまり2年間は同志社大学で過ごし、残りの2年間を筑波大学で過ごしました。少し変わった形であるだけに様々な面で新たな経験ができました。それも含め、この4年間で得たものを大まかに二つに分けて話していきたいと思います。
最も大きかったのはやはり本当に多くの仲間に出会えたことだと思います。
大学の4年間のうちに異なる環境に身を置くことができ、そこで新たな出会いをすることができました。
そこでは、人と言うのはそれぞれ本当に個性があるということを身に染みて感じました。
時には個性的すぎるために苦しむこともありました。と言うよりも苦しむことばかりでした。アドラー大先生が「すべての悩みは人間関係である」と言うのもうなずけます。ですが、様々な個性、新たな価値観に触れて乗り越えた先に成長することができたと強く感じています。これも部活動という濃い時間を共にする仲間とだからこそ得られたものだと思っています。
そしてもう1つは、地道な努力を継続する力です。
僕はサッカーがしたくて大学に進学することを決めました。どこまでも上手くなりたいという思いで続けたサッカーでした。
しかし、大学サッカーでの4年間は大半が辞めたいと思う日々でした。
1年目は、厳しくも熱い先輩やコーチに攻められる(もはやいじめ?)日々でした。練習後にはいつも苦しい、辞めたいと思っていたのを今でも鮮明に覚えています。
2年目は少し自分なりのサッカーが少し垣間見えるも、なかなか周りからの評価には繋がらず、自己評価との差に苦しみました。
3年目、筑波大学に来てからもさらに状況は厳しく、就活シーズンに突入するも完全に孤独の戦い、さらには国家公務員になりたいという想いも捨てきれない、編入学の特性上3年になっても80単位ぐらい授業が必要など部活以外のところで苦しむことが多かった1年でした。
思い返せばいろんなことがあった4年間で純粋にサッカーという面では苦しかったことばかりですが、それでもサッカー自体への想いは変わらず持ち続けることができたおかげで最後まで上を目指して続けることができました。
4年後にあれをやっておけばよかった、これをやっておけばよかったと後悔を残さないように「自分に必要な能力はなんなのか、その能力はどうしたら向上するのか」と自分の身体と向き合うことができたと思っています。そして結果的にサッカーのためにやっていたことが、今ではどうやったら一番効率がいいのか考える力や目標に向けて努力の道筋を描く力となって自分のすべての活動につながっています。例え、間違いをすることがあっても自分の確立されたやり方があるというのはすごく大事なことだなと教えられました。
高校の時は、公式に当てはめて考えるだけなんておもんない、俺は発想力で求めてやるぜ(数学のこと)なんて思っていましたが、確立されたもの(基礎)があって初めてその先に複雑なものを対処できる(応用)があるんだなと思いました。
何か大きな事を成し遂げるためには近道はないなと感じさせられた4年間でした。
長くなりましたがこれが僕の4年間で得たものです。細かく言えばもっともっとあるのですがこの二つだけでもこんな文量になってしまいました。
パソコンに打ちながら武者震いみたいなのが止まらず、そのせいで誤字があると思いますが、僕らしいのであまり確認しないでおきます。
あとは、ブログ係にでも任せておきます。はい、誤字大丈夫です。(僕がブログ係です)
末筆にはなりますが、迷惑をかけてきた、どちらのチームメイトにも、何度も喧嘩したコーチたちも、支えてくれたすべての友人にも。
本当にごめんなさい。
すべての出会い、経験によって今の自分があります。
本当に感謝しています。ありがとうございます。
また、道を正しながらも自由にさせてくれ、身体的にも精神的にも経済的にも支えてくれた両親には本当に感謝しています。
正直、サッカーの悔いはサッカーで返したいという思いは今もありますが、その道が正しいのかわかりません。ただ、大学サッカーを通して素晴らしい時間を過ごし、多くのものを学ぶことができたこと、熱くなれるものを持つことができたこと、全てが最高の経験でした。またいつか、舞台は違ってもサッカーのピッチという場所に立てる時を楽しみにしています。
最後に僕が大好きだった応援歌で締めたいと思います。
これをナイターの引退試合で聞いていたら号泣だったでしょう。
何もかもすべて思いのままに、
ここは俺たちの夢叶う場所。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
筑波大学蹴球部
社会国際学群社会学類4年
冨岡洋輝