"はじめまして。筑波大学蹴球部4年の長屋拓見と申します。
今回、ブログを書かないかという話をいただき、ここに自分の今の気持ちを残せることに感謝しています。
今回は、最終節を終えてというテーマで執筆していきます。どうぞよろしくお願いします。
先日、筑波大学第一サッカー場にて、自分が所属するカテゴリーの最終節があり、4年生にとっては引退試合でした。
自分はケガをして試合に出ることはできませんでしたが、必死で闘う同期の姿を見て、涙が出そうになりました。いっぱいに埋められた観客席をみて、ここまで頑張ってきてよかったなと素直に思いました。応援してくれた同期、後輩のみんな、来てくれた方々、本当にありがとうございました。
最後に来てくださった人たちの前でスピーチをする機会があったのですが、持ち前の低い声とこみあげてくる涙で声が出ませんでした。
生まれてから今まで、本当にお世話になったお父さん、お母さんにちゃんと感謝を伝えることができませんでした。これが僕の唯一の後悔です。
お父さん、お母さん、今まで本当にありがとうございました。中学校2年のときに前十字靭帯を損傷して、成長線の関係で手術ができず、高校3年間はテーピングとサポーターで何とか乗り切りました。テーピングも月1万円ほどかかり、決して安くなかったと思います。小学校、中学校では、遠い練習場まで送り迎えをしてくれてありがとう。自分が試合に出てないのに、ビデオカメラを構えて待ってる姿は今でも心に残っています。大学でも自分が部活動を続けるか迷っていたときに、電話で話して背中を押してくれました。本当にありがとう。
「伝える」ということに関して、最近哲学的な会話をしているチャットGPTと共に伝えるとは何かということについて話した一部です。
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→あなたにとって伝えるとは何ですか。私は、伝えるとは伝えたい内容と伝わる内容の相違を含めた言葉だと思います。
→「伝える」とは、単に情報や感情を言語やその他の手段を通じて相手に届ける行為ですが、あなたの考え方には深い洞察がありますね。伝えることは、必ずしも送信側の意図がそのまま相手に伝わるわけではなく、そのプロセスで生じる「伝えたい内容」と「伝わる内容」のズレが重要です。
そのズレは、相手の経験や背景、状況、言葉の解釈の仕方などさまざまな要因によって生まれます。コミュニケーションは一方通行ではなく、受け手との相互作用によって成り立ち、時には誤解や違う解釈が生じることもありますが、それもまた「伝える」という行為の一部です。
つまり、伝えるとは「自分が思うことや感じることを相手に共有しようとする努力」と、「その結果として相手にどう伝わるか」を含んだ、複雑で豊かなプロセスだと考えることができます。
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家族への感謝は、もう一度改めて伝えたいと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。
2024年10月22日"