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2024

#201 「大敗北誌。そして蹴球部の皆へ。」(中村優太/4年)

日頃より筑波大学蹴球部を応援していただき、誠にありがとうございます。

体育専門学群4年の中村優太と申します。蹴球部では、選手活動に加え、2年間副務を務めさせていただきました。

前原ミストラルFC、TINO.F.A、東福岡高校、そして筑波大学蹴球部でプレーさせていただき、両親、チームメイト、先生方、指導者、友人、その他にも大勢の方に、さまざまな場面で手を差し伸べていただきました。

この場を借りて感謝申し上げます。

 

さて、4歳で始めたサッカーから身を引く時が来てしまいました。

 

幼いころに抱いた「世界で活躍するサッカー選手」という夢は夢のままで終わりました。小学校の卒業文集には、当時憧れだった本田圭佑氏の「世界一のサッカー選手」を真似て、「バロンドールを取る」なんて書いた薄い記憶があります。色は戦隊レンジャーの主人公が着ている赤が大好き、背番号は10番か7番じゃないといや、守備はしない、世界は自分中心の一人っ子、そんな少年時代でした。

 

ではなぜ、中村少年の夢は叶わなかったのか。

僕の場合、それは単純明快、「頑張らなかったから」「自分に負け続けたから」。

 

入部直後、僕は同期たちに「隣の奴が怪我したら喜ぶくらいの気持ちでやれ」と発言した記憶があります。そんな強い思いを持って、入部したのが4年前。フレッシュマンコース終了後、その思いを胸に初期配属の5軍から2年夏には2軍へと昇格しました。ここまでは順調だったのかもしれません。そんな中で迎えた2年冬、新人戦で全国制覇を経験し、幸運にも僕はその瞬間をピッチ上で味わいました。人生で最も「おめでとう」をもらった瞬間だったと思います。しかし目標の一つを達成したと同時に、自分の弱さを明確に示された大会でもありました。

 

ベンチスタートから後半残り20分程度で出場するという立ち位置に満足していた僕と、

推薦入学組との差。

一般入学組としてスタメンに名を連ねる高山優(中学から顔見知りのハンサムボーイ)との差。

そして何より、その差を埋めようとしていた入部当時の僕自身との差。

 

これらの差を埋めようとしない方が、つまり僕がそれまで望んでいた夢を叶えようとしない方が、心地よいと感じた僕はそれまででした。頑張らないといけないのに行動に移せない。頑張らないといけないのに頑張りたくない。人生で初めての感覚でした。今振り返ると、僕の「サッカー選手になりたい」「夢を叶えたい」は彼らに遠く及んでいなかったのでしょう。

 

努力すれば夢は叶うとは到底思いませんが、夢を実現していく人間は例外なく努力しているはずです。そして重要なのが、その「努力」は「努力風」「頑張る風」と明確に異なること。誰にでも頑張れる「本番」ではなく、「日常」にこそ差が生まれると信じること。「即効性はない」が、「重要度の高い」トレーニングを「長期間、高い質で」継続すること。

言葉では当たり前のことですが、苦しい時はここから目を逸らしたくなります。これからはこの敗北を胸に刻み、自らを律し続けるしか僕に成功はありません。

 

ここまで、僕のサッカー選手としての敗北を綴ってきました。

敗北した者がいるなら、勝利した者がいるはずです。サッカー選手としての勝利とは何か、という哲学的な議論は置いておきますが、サッカー選手には、対戦相手を打ち負かしたり、チームメイトを差し置いて試合に出場したりと、誰かの犠牲の上に立たなければならない瞬間があります。おそらく誰もが「そういう世界」であることを理解していることでしょう。サッカー界だけでなく、これは現代社会全体に言えるかもしれませんが…

 

ただ僕の同期たちは、「そういう世界」で敗北した僕の思いも受け継いでいってくれるような奴らでした。

そんな彼らと過ごした筑波大学蹴球部での4年間は僕の人生で最も充実した、そして最も成長できた時間だったことは紛れもない事実です。

 

ここからは蹴球部生活によって得たポジティブな変化について綴ろうと思います。少し長いですが、お付き合いください。

 

僕のターニングポイントの一つは、副務に選んでもらったことです。

元々、副務になる気は全くなかった僕でしたが、同期たちからの推薦が嬉しくて、高山優と二人で決意しました。同期の皆、そして優、本当にありがとう。

 

「部運営の統轄」「学内業務」「学連とのやり取り」「その他諸々」という副務のタスクを行う中で、僕の中に多くの変化がありました。

 

ホーム&アウェイ制導入後初のホームゲームを0から作り上げたり

仲間と蹴球部の方向性や課題について夜通し議論したり

他大学の研究会に参加して、蹴球部の活動紹介をしたり

天皇杯町田戦のスタンドで涙ながらに応援し、仲間と勝利を分かち合ったり

マッチパートナーのチームを立ち上げて、未知に挑戦したり

学年ラインでしつこいくらい同期に発信したり

 

副務になる前の僕には意欲もわかなかったようなことにエネルギーを注いでいた僕。おそらく副務として活動していく中で、蹴球部という組織を深く理解できたことにきっかけがあったと思います。

誰よりも部を想う小井土先生、大好きな同期、自分と向き合いながら組織にも目を向ける部員たち、共に戦ってくださるパートナー企業様、応援してくださるファンの方々、温かい地域の方々、共に盛り上げてくれる筑波大生、偉大なOBOG、その他にも多くの方々の想いを背負っているのが蹴球部でした。そんな組織の一員であり、僕の活動が彼らに何かを還元できている実感が、僕の生きがいでした。

唯一の心残りは、「対自分」と「対組織」を両立できなかったこと、つまり最後までサッカー選手として、自分の成功を願い続けることができなかったことです。他にも両立を頑張っている人は多くいますが、高山優はその点がすごかったです。最強。

 

 

 

後輩たち、

蹴球部がより大きな組織へと成長するにつれ、「新しい挑戦」よりも「既存を守る」が増えてくることにストレスを感じる機会も多くなると思います。そんな時こそ「蹴球部が目指すゴール」を見失わないように。そのゴールはその時々で変化させれば良いし、自分たちが納得できるものであるべきです。議論を経て、既存や伝統を消し去る勇気すら必要だとも思います。でも蹴球部が広く支えられているということだけは忘れずに。僕たちが見ているのは蹴球部のほんの一部です。

自分が組織から恩恵を得る一員であるならば、組織を動かし何かを与える一員でもあるということ。組織の意思決定をする時は、決定前に意見する、決定後は実現のために全員が全力を注ぐ。誰一人置いていかない。これも強い組織であり続けるために、とても大事な事だと思います。

そして何よりもプレーヤーとしての信念を貫くこと。人間は弱い生き物で、軸を持てていると思っていても、何かのタイミングで不意にぶれてしまいます。調子が良い時こそ、「なぜ調子が良いのか」「なぜ頑張れているのか」を言葉に残してみると良いかもしれません。

 

一つの意見として、受け取ってもらえると嬉しいです。

 

 

同期たち、

まずは4年間、ありがとう。この組織で皆と切磋琢磨した経験は一生の財産です。サッカー選手としてだけでなく、人として尊敬できる同期に多く囲まれました。これからもよろしくお願いします。

さて、皆の中には、進路が確定し未来に希望を抱いている人も多いと思います。俺もその一人です。どんな大人になるか、どんなキャリアを送るか、就職先はどのような組織なのか、どう社会に貢献するか、さまざまなことが頭をめぐっています。だからこそあえて伝えたい。

今の俺は、「筑波大学蹴球部の中村優太」だし、皆も同じ。それは残り数週かもしれないけど、ここだけは間違えてはいけないと思う。選手を引退した人も多いけど、TOPチームの中には、俺たちを代表して戦っている48期の仲間がいる。そして何よりも2024シーズンは俺たち全員の代。

かっこいい4年生として、俺たちも何かできることをさがそう。そして心の底から日本一を喜ぼう。

 

 

 

 

最後に。

 

今シーズン、僕は部に対してできる全てのことを行動に移してきた自負があります。全力で部に向き合いました。これは小井土先生をはじめ、ヘッドコーチの伊吹、主将の啓太、主務の拓哉、学連担当、そしてその他多くの部員も同じで、蹴球部はそういう奴らの集まりだということです。

僕が在籍した4年間の中で、間違いなく最も強い組織になれています。過去を批判したいのではなく、過去を受け継いで、そこからさらに成長してきたという意味です。

必ずインカレで優勝できる。日本一の組織だから。

 

さあ同期・後輩の皆、日本一を獲った時に「自分が主人公」といえるでしょうか。

ピッチに立てなくても主人公になれるはずです。ピッチを目指しながらでも、組織に貢献できるはずです。

 

 

『全員で』日本一を獲ろう。

 


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