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2021

#111 心というレンズ(横田陽生/4年)

初めまして、筑波大学人間学群心理学類4年の横田と申します。

軽く自己紹介をすると、ある同級生との出会いをきっかけに高校からサッカーを始めて現在B2チームでプレーしています。


心理学の授業で、人間の行動というのは個人の性格や気質のような内的要因と、環境による外的要因の関係によって成り立つということを学びました。

そして人間には、他人の行動の原因のうち内的要因を過大評価し、その人が置かれた環境による外的要因を過小評価する「根本的帰属の誤り」と呼ばれる認知のバイアス(偏見や誤解)が存在するというのです。


昔あるチームメイトで、集中力の問題を常に指摘されている選手Aがいました。


Aは色んな人から「集中しろ」と言われますが、一向にその問題は解決しません。

話を聞いたところ、何かうまくいかない時に一人で反省し、原因を分析する時間がそいつには必要らしいのですが、周りがAに「集中しろ!」など多くの声をかけます。

それがその分析の妨げになり、悪循環に陥っていました。

もしかしたらAに集中力の問題は根本的にあったかもしれません。

しかしそれを助長しているのは周囲で、そしてその周囲がAに対して「集中力がない」というレッテルを貼るのです。

そしてそのレッテルもまたラベリング効果と呼ばれるものですが、「集中力がないA」を増大させてしまいます。

そして、さらにAのプレーミスの本当の原因をぼやけさせていきます。


AのプレーミスをAの集中力の問題(内的要因)にし、それを助長している自分達の影響(外的要因)を無視してAを責め続ける。

その結果Aのプレーを改善する可能性を潰してしまう。


根本的帰属の誤りの結果必要以上に状況が悪くなってしまう例であり、周囲の行動はかなり無責任のように感じます。


これは一つの例ですが、人間には他にもさまざまな偏見や誤解がサッカーに限らず存在します(確証バイアス、ゼロサム思考、認知的不協和、自己奉仕バイアス… 気になる人は調べてみてください)。

そしてそのバイアスは無意識のもので、自ら気づくというのはかなり難しいものです。



 「人は心のレンズを通して世界を見ている」



どんな行動もその人の背景がありその人にとっては筋の通った理由があるし、自分が見ている世界は現実そのものではなくいい意味でも悪い意味でもゆがんでみえています。

先程の選手Aの例でも周囲の人の心のレンズはAの集中力に焦点が持っていかれ、自分達がAに与える悪影響への視点を完全に失っています。


他にもモチベーションというのはあればあるだけ良いものとされていますが、大量のモチベーションは注意を働かせられる範囲を狭めて創造力を失わせることがわかっています。

こんな風に、良いと思ってることも裏目に出てしまうなんて事はこの世の中で多々あると思います。


そしてこれらは心のレンズが歪んでいる事で生じるものです。


常に自分の思考を見直し、その歪みに気づく必要があります。


この心のレンズという考え方やバイアスに関しての知識自体が何か問題をきれいに解決してくれるわけではありませんが、現実を正しく理解する手助けをしてくれるものです。


そして、人にはそれぞれの心というレンズがある事を意識出来れば簡単に人の考えを否定することはなくなるし、他者の考えに対してより寛容になれるはずです。

また、何より自分からは見えていない視点からの他者の考え方に心から敬意を持つことができるはずです。


心の容量が大きい人はその分、多くの視点を受け入れて敬意を払う事ができます。

そんな人になりたいし、周囲にいい影響を与える環境の一部になるのが私の目標です。


すでに私には、サッカーを始めるという大きな影響を与えてくれた同級生もいます(昨年卒業したOB)。

そういう人との出会いは特別で、サッカーを好きになり、将来関わっていきたいと考えるのには十分な環境に恵まれました。


私の行動は半分以上みんなの行動そのものです。関わってくれた全員に感謝したいです。

 

こんなことを話している自分もきっと見えていないものがたくさんあるし、見えてるつもりになってる事で溢れていると思います。
それが見えるようになるために成長していきたいです。


長く拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


筑波大学蹴球部

人間学群心理学類4年

横田陽生


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