新年明けましておめでとうございます。
平素より大変お世話になっております。
3度目の部員ブログを書かせてもらうことになりました、国際総合学類4年の田嶋翔です。
「1月2日」という世間がお正月で賑わう最中、且つなんとなく僕にとって縁起の良さそうな日に部員ブログを公開できることを大変嬉しく思います。
ただ、言語人類学を専攻しておきながらも言語化することの難しさを痛感しております。
宣伝がてらに以前書かせていただいた2つのブログへのリンクもここに貼っておきますので(興味があれば笑)僕を知るための参考にしてもらえればと思います。
『目の前のゴミ』 田嶋翔
https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/16363
『汚れ』 田嶋翔
https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/16300
まずはこの場をお借りしまして、今シーズンも筑波大学蹴球部を支えてくださったスポンサーの皆様、コロナ禍でも大会運営に尽力してくださった皆様、本当に心より御礼を申し上げます。
試合に勝った負けた、上手くいったいかなかった、そんなことよりもまず関東大学サッカーリーグ、アミノバイタル®︎カップ、天皇杯、インディペンデンスリーグや茨城県社会人リーグの様な公式戦としての試合を戦えたことを筑波大学蹴球部として感謝申し上げたいと思います。
改めて2020年は経験したことがないほど目まぐるしい一年だったなと感じます。
耐えることの多かったこの一年でしたが得られたもの、感じ取れたものも少なくなかったのかと思います。
僕は音楽を聴くのが好きですが、こういう状況下ではなおさら音楽のちからに助けられました。
苦しい時に支えてくれる曲。
嬉しい時に踊りたくなる曲。
悲しい時に一緒に涙してくれる曲。
音楽には素晴らしい力があるんだなと毎日改めて感じています。
僕は[Alexandros]という歌手の世界観にハマり、よく聴くのですが、彼らの曲の一つにWanna Get Outという曲があります。
その曲の好きなパートが以下のフレーズです。
――――――――――――――――――――――――――――――
白い町霧がかって
雨が降って雨が降って
私の粗悪部品が綺麗になると
期待していた
綺麗な物を見たくて
目を洗って手洗いをして
綺麗な事を言いたくて
口をゆすいで手洗いをした
けど
壊れかけたこの声は
汚れたまま汚れたまま
泣き叫んでいた昨日も
忘れ去って忘れ去って
そのまま生きて
Wanna Get Out / [Alexandros]
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
この部分はギターのソロの前の部分なので本当に痺れるパートです。
ただそれ以上に歌詞が痺れるんです(あくまでも僕の解釈ですが)。
人は「多くのもの」や「かっこいいもの」を求めようとします。
格好の良い理想の自分であったり、名誉だったり。
でも、それを掴むためには、表面だけ変えても何も変わらないし、何も得ることが出来ないんです。
この歌詞のように言えば、
「口をゆすいで綺麗にしたからって格好のつくことが言えるわけではない」のです。
結局は、中身であり、「今」という瞬間までの積み重ねがその人であり、その人の「ことば」を生むんです。
外見が変わっても、中身が備わっていなければ「汚れたまま」なのです。
カッコいいスパイクを履いたところで絶対に上手くなんてなれないんです。
結果を得るためには過程は大事なんです。
でも、そうはわかっていても、人はどこかその中身や積み重ねを怠ってしまうんです。
理想の自分だけを語り、格好のつくことだけを吐き出して、それで終わってしまうんです。
苦しいかもしれないけど、「それ」を、「自分の理想とする何か」を、掴み取るためには日々の積み重ねが必要なんだと思います。
一番単純なものほど長続きさせるのが難しいと僕は思っています。
それはここまでの4年生の部員ブログを読んできても感じています。
目標は遠く、そこにたどり着くためには、長く、苦しく、苦しく、苦しくそして長い日々を続けなければならないのです。
でも、そんな長い道のりで、ものすごく苦しくても、どこかにほんの少しでも希望が残っているのであれば、おそらく人生って捨てたものじゃないんだなと感じ、歩み続けることができると思います。
自分にとって挑戦の道を歩めば、絶対に苦しいけど、どこかで必ず何かが変わるポイントが来ると僕は信じています。
僕は高校の頃の一年間、フランスに留学していました。
自分にとっては挑戦でした。
その道では苦しくて逃げ出したくなる時もありました。
ただ、その中でも家族や様々な人に支えられ、日々を積み重ね、目の前にあることを
大事にし続け、納得のいくものにできたのかと思います。
結局は、目の前にあること、目の前にある「今」という瞬間を積み重ねることができれば、何かが起こるんだと思います。
フランスでの留学もその考えがあったからこそ、考え方、言語や人種の違い、日本との環境の違いの中でも自分なりに自分自身と向き合い続けることができたのかと感じています。
だからこそ、どんな成功よりも、どんな名誉よりも、
また新しく挑戦をすることができるこの恵まれた心と身体、環境があり、仲間や家族がいること、それがとてつもなく幸せでありがたいことでした。
それがこの4年間で改めて実感した一番大きなことでした。
たしかなことは、
幸せや幸せのための階段は目の前にあるということ。
それは毎日の練習であったり、日々の生活、隣に立ってる仲間やどんな時でも支えてくれる人たち。
でも、人はそれに気づかず、いつしか忘れ去ってしまう時があるんです。
この4年間は、
ただただ楽しくて、
ただただ悔しくて、
ただただ寂しくて、
ただただ苦しくて、
ただただ嬉しくて、
そして多くの小さな幸せに気づけた4年間でした。
大切なことは、目の前にあることに気づき、しっかりと優しく包み込んであげること。
気づけなかったり、失敗したとしても、
それをしっかりと反省し、
また歩き出せる自分がいることに感謝をして進んで行けば良いのかなと思います。
それを改めて実感し、意識できたからこそ、すべてを文字で表現することはできませんが、僕がこの筑波大学蹴球部に来た意味を見出せたし、形になったものも少なからずあったんだと思います。
2016年の冬。
あの時に見たあの姿。
そこから描いた理想の自分。
手に入れたくて、
もがいて、もがいて、もがき苦しんで。
辞めようかと思っても、やっぱりそれが納得いかなくて。
そしてたどり着いたあの時と同じ様な場所。
本当に特別なものではありました。
でも、特別大きなものではなかった気がします。
あの時と比べたら変わってるものは多くあると思います。
でも、辿り着いたところは昨日までの自分と何も変わらないものだったんです。
結局今の自分は日々を積み重ねた自分でしかなかったから。
だから大きなことを望みつつ、多くのものを望みつつも、目の前の一歩を歩んでいくことが大事なんだなと思います。
もがき苦しんだ日々、どんなに悔しくても全力で応援した日々、どんなに時間がなくても蹴球部のために時間を費やした日々、深夜の1グラ(ホームグラウンド)で泣きながらボールを蹴った日々。
辿り着いてみて、振り返った時に、良かったなというか、納得した気がしました。
なんか、そこには
時間によって積み上げた大きな説得力
みたいなものがあると感じました。
全力で応援したこと、厳しく指摘しあったこと、いくつもの映像を作ったこと、ともに掃除をしたこと、本気で喜び合ったこと。
未熟な自分を叱ってくれたこと、辞めようとした自分のことを泣いてでも止めくれたこと、僕の挑戦を応援してくれたこと。
一人のサッカー選手として、様々なカテゴリーや様々な大会で多種多様なバックグラウンドを持つ人とサッカーができたこと。
サッカー選手として何を求められていて、何ができるのか。
組織のあり方を考え、自分にできることはないのか。
すべてがうまくできたわけではないですし、うまくいかない時もありました。
多分これからもそうです。
でも筑波大学蹴球部で経験したすべてが、
本当にすべてが
大切で、儚くそして幸せでした。
ここで得られたものすべてを噛みしめて、握りしめてこれからも生きていこうと思います。
最後になりますが、
小田和正の「たしかなこと」という歌に
――――――――――――――――――――――――――――――
君にまだ
言葉にして
伝えてないことがあるんだ
――――――――――――――――――――――――――――――
という歌詞があります。
もちろん自分の口で伝えるのが一番ですが、
特に僕に深く関わってくれた方々、
筑波大学蹴球部の仲間、
そして何より家族に、
この歌詞の続きを贈ります。
これが今ある僕のすべての気持ちです。
忘れかけても、
結局、
またいつかここに落ち着くんでしょうかね。
長い拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
筑波大学蹴球部
社会・国際学群国際総合学類4年
田嶋翔