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2019

『目の前のゴミ』 田嶋翔/3年





部員ブログを書くことになり何を書こうかすごく考えました。
実際この時点でもそこまで内容が固まっているわけではないです。
タイミング的に何かがあったわけでもなく、ものすごく話したい内容があるわけでもないです。 

色々考えた結果、まずは名乗りたいと思います。

この記事を読んでくださっている皆様大変お世話になっております。
国際総合学類3年の田嶋翔と申します。
1998年10月21日に千葉県の柏市で生まれ、各地を転々とし、
2年前筑波大学に入学し、今ここに居ます。


まだネタは決まっていないので、一旦ネタが決まるまで慶應義塾体育会ソッカー部に所属している僕の兄の記事を一旦読んでみましょう。

http://keio-soccer.com/official-blog/39786.html 



自己紹介の続きをすると、僕は小学校4年生のころから東京都にある暁星というところに通っていました。
暁星と言えば、暁星出身で去年の3月に卒業した竹内歩さんではなく、
今年の3月に卒業した安岡さんの素晴らしい記事を見てみましょう。

https://www.tsukubashukyu.com/2018/12/23/blog-19/ 


この記事でも出てきた高校時代の監督は、もちろん僕の監督でもあります。
そんな監督は毎練習後僕たちを集めて話をしました。
グラウンドに生えるイチョウの木の話、小説の話、素晴らしい先輩方の話。
その当時も思っていましたが、やはり今思ってもすごく貴重な時間だったなと感じます。
3年間で50回くらい聞いた話もあるのですが、それだけ監督が僕らに伝えたかったのかなと思います。

そんな彼が常々言っていた部のスローガン的な言葉で、

「目の前のゴミを拾える人間になる」 

というものがあります。

言葉通りの解釈をしても良いんですけど、多分そういうことではないと思います。

目の前に落ちているゴミに気づいて拾う様に、困っている人を助けたり、
日々の中でちょっとしたことに気付いてそれに対して行動を起こせる人間になるということです。

これを体現するのは本当に難しいと思います。

特に視覚に問題がなければ、目の前にゴミがあれば誰でも見ることはできます。
でも、これは見えているとは別の話です。


僕の父親はよくテッドマール・クラマー氏の話を僕たち兄弟にしてくれました。
その中の一つに、


Es ist der Geist, der sieht.  
Es ist der Geist, der hort.  
Das Auge an sich ist blind. 
Das Ohr an sich ist taub.  


という言葉があります。
一応訳しておきますと、


物を見るのは精神である。
音を聞くのは精神である。
 眼そのものは盲目である。 
耳それ自体は聞こえない。


という意味になります。
この言葉の様に、結局見ることができていてもそれに気付こうとする「心」がなければ行動になど移せないということです。

皆さんは気付けていますか?
気付こうとする「心」を持っていますか?


自分はまだまだです。
自分は見ること、聞くことが当たり前にできています。
色々な人に巡り合い、家族にも恵まれています。
プレーの中でも、生活の中でも、気付く心のある人間、「目の前のゴミを拾える人間」になっていきたいし、なっていかなければいけないと思います。

一人の人間として、もっと成長したいですね。

筑波大学蹴球部ももっとそういう組織になっていかなければいけないなと感じます。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも筑波大学蹴球部の応援をよろしくお願いいたします。



筑波大学蹴球部
社会・国際学群 国際総合学類3年
田嶋翔

▼B1チーム NEXT MATCH
インディペンデンスリーグ【関東】1部Aブロック 第3節
6月9日(日) 14:00 kickoff
vs神奈川大学U-22A
@神奈川大学グラウンド






           

                                 


WRITER:田嶋翔
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