蹴球部としての最後シーズン。引退まであと後1ヶ月あるか無いか。
蹴球部員という肩書きを持って活動したこの4年間という時間は、正に胡蝶の夢の様であり、非常に長いようで、一方で刹那的なまどろみの中に居るようだった。
机に座ってこのブログを書くとき、自身の蹴球部生活について振り返る。
一体どんな4年間だっただろう?チームメイトとの研鑽の日々?
真っ先に思い付くのは、この4年間は「才能との闘いの日々」だった、これに尽きると思う。
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はじめまして、蹴球部4年の内田 郁真と申します。
GKをやっていました。
選手自体は2年生で引退しており、それから現在に至るまでの約2年間は蹴球部のデータ分析スタッフとして活動しています。
自分含め筑波大学のデータ分析チームが何をやっているのかは、先日テキストに纏める機会を有り難いことに頂いたので、興味がありましたらこちらをご参照下さい。
-【2020シーズン】筑波大学蹴球部データ班の取り組み -
https://note.com/ikuman01/n/n64c0e0d666fb
この部員ブログは何について書こうか迷いました。
蹴球部員として目指すべきメンタリティや姿について、自身が感じている事を書こうと考えていましたが、僕の同期達が強い意思を持って既に書いてくれているのでそれはやめました。
-目の前のゴミ (田嶋翔)-
https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/16363
-正直者にバカを見せるな(三井陸)-
https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/17308
-終着点 (柏原義央)-
https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/18504
なので、思う存分好きな事を書こうと思います。
今回は自分が長い間苦しめられてきた、才能というものについて書きました。
少し暇な時間が出来た方、抱える作業の休憩中に偶然にもこのブログを開いた方、良ければ少し立ち止まって見て頂けますと幸いです。
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前述の通り、この蹴球部での4年間は才能との闘いの日々だったと思う。
もう少し具体的に言うと、
「蹴球部に入るまで自分が勝手に思い込んでいた才能と、蹴球部に入ってから出会った数多くの『本物の才能たち』とのギャップに苦しめられた」
そんな日々だった。
自分が中学高校で所属していた部活は決してサッカーの強いチームでは無かった。
プロチームのユースの選手や、全国トップレベルの高校の選手を全く見る事なくサッカーをして来た。
中高共に県で一番下のカテゴリのリーグに所属し、高校2年時は部員が足りず10人で選手権の県予選に出場した。翌年の新人戦は一人怪我して9人で大会に挑んだ。
(因みに、諸々の事情により自分の高校は現在閉校している。)
それでもサッカーには多くの時間を注いで来たつもりだったし、恐らく当時の自分が自己評価すると「それなりに頑張ってる奴」だった思う。
間違った努力かも知れないと言う疑問を持つ事も無く。
筑波大学蹴球部には、プロサッカーに関わる仕事がやりたくて入った。
入部の動機を記述する欄にはその様に書いた。
言葉で言うが恐らく、高校の時と同様に、努力してサッカーに多くの時間を費やしてあわよくば「プロサッカー選手」にでも成れれば、、と考えていたのが正直な所だろう。
結論から言うと全く自分のやってきたサッカーは何一つ通用しなかった。
GKだがシュートストップは誰よりも下手だったし、何より全くボールを正確に飛ばすことが出来なかった。ロングパスもショートパスも。
フレッシュマン期間と言う仮入部期間中に、当時ヘッドだった鍵野さんに下手過ぎてボールの止め方と蹴り方から指摘されたことは今でも覚えている。
本当にそれくらいの選手だった。
高校時代にサッカー専門サイト「ゲキサカ」で名前を見たことある様な、ユースや強豪校出身の選手は当然自分から見たら上手かった。ただそれ以外にも、比較的恵まれたサッカー環境にいなかった選手も皆自分なんかよりも技術に優れていたし、伸び代のある選手ばかりだった。
ピッチ内に限らず、ピッチ外でも活躍している人も多かった。
語学に優れた人。
情報処理に長けて分析で貢献する人。
技能面だけでなく、リーダーシップを発揮出来る人。
頭の回転が本当に速く意思決定がスムーズな人。
はたまたこれらいくつかを掛け合わして持つ人。
本当に優れた才能の多くがここにはあった。
自分には何も無かった。
本当に今まで何に時間を費やしてきたんだろうとも思った。悔しかった。
そもそも、『才能』って一体何なのだろうか?
なぜ、自分は何も「持っていない」のに他の人は「持っている」のだろうか?
これについては色々な考え方があるし、正解はない。あくまでも個人的意見である。
才能とは、「集中力の質」なのだろうと思う。
これは、自分の好きな漫画の一つ「左利きのエレン」に出てくる一節だ。
(謝辞も込めて漫画名も引用させて頂きます)
集中力の質と言われてもイメージしづらい為、ある程度定量化し可視化する。
集中力には
・集中の継続時間
・集中した際の深さ
があり、この二つを掛け合わせたものが「集中力」だと思う。
また、「集中力の質」は人によって多種多様だが、これを評価する3つの要素として、
- 集中深度... 集中力の深さ
- 集中の継続時間...深い集中の継続時間
- 最深までの到達時間...一番深い集中に到達するまでの早さ
があると仮定を立てる。
1~3に大まかな評価基準を作ると、1. は「深い・普通・浅い」2. は「長い・普通・短い」3. は「早い・普通・短い」と出来そうである。
例えば、何かの作業をする時の集中力の質はこんな感じ。
オレンジの部分の面積が「集中力」で、この形状が「集中力の質」だと思う。
左の写真が、少し大袈裟に自己評価してみた際の自分の集中力の質と、蹴球部員の集中力の質と比較してみる。
この青く塗り潰された部分が、「集中力の質の差」であり、そもそもの「集中力の差」の違いである。もっと言えば、「才能の差」である。
蹴球部には多くの集中力の質が存在する。
勝手に大きく括るとすると、
例えばプレーに秀でた選手は、試合が始まる前までの集中は深くないが、試合が始まった途端異常なまで早くに深い集中へと突入する。
頭の回転が常に速い人は、集中力が異常な程深い訳ではないが、ある程度の集中が長時間続く。そんな人であろう。
自分の場合どうであったか。
きっと、「集中深度が浅く、深い集中の継続時間が短く、最深までの到達時間が長い」人なのだろう思う。
たった一度だけその様な状態ならまだいいが、ピッチ内、ピッチ外でのこの状態を繰り返すと大きな差となって、取り返しのつかなくなる。
これが、何もない自分と、数多の才能を持つ蹴球部員との差だったのだろう。
これが「努力したはずなのに何も得られてない」自分なのだろう。
たちが悪いのは、集中力の質が低くても、時間は無駄にかけることができる。だから時間をかけて努力している(はず)の自分に満足してしまう。
ただの意識高い系の自分。それが自分。
このままで終わりたく無かった。
じゃあどうすればいいのか。
自分が心がけるようになったことは一つ。
それは、「何かに秀でること」である。
蹴球部員でも本当に優秀だなと言う人は、他にはない突出した「何か」を持っていた。
ピッチ内だと、ロングシュートが上手い、試合中の視野が広い、空中戦に強い。など。
ピッチ外だと、頭の回転が早い、コミュニケーション能力に長けている。など。
本当に何でも良い、とにかく「何か」を持っていた。
自分の場合、強いて言うなら「サッカーのデータ分析」だった。
3年になる直前、自分は選手を辞めてデータ分析スタッフになった。
理由は色々あるが、ただ単純に、何者でもない自分から「何か」を持てる自分になりたかった。
蹴球部の勝利に貢献できる様な「何か」を持ちたかった。と言うのが本音の部分だろう。
当時蹴球部生活を2年残して選手を引退する人はほぼいなかった。
しかもデータ分析を専門とする為グラウンドに出向くことが少なくなった。
部内で同じ様なことをしている人は少なかった為、
「普段何してるの?」や「サッカーやってないのに何で蹴球部にいるの?」などの声も聞いたことがあった。
全ては周囲と全く異なることをしてる自分の責任である。
ただ、「何か」持ちながら蹴球部に関われたことは心の底から誇りに思う。
才能を持てず苦しんでいる人へ。
集中力の質、つまり「才能」は何かを持ち訓練する事ででいくらでも後天的に伸ばすことが出来る。生まれ持って手にしている物ではない。そう信じているから、頑張っていける。
自身の集中力の質はまだまだ低い。今でも正解がわからないまま走っている。苦しんでいる。
ただ、「何か」を見つけて走り続けるしかない。
自分は蹴球部のデータ分析スタッフとして、
アナリストとして、
ピッチで眩いほどに光を放つ選手達を全力で照らせる様、残りの蹴球部としての全ての時間を使おうと思います。
頑張ります。
才能を持てず苦しんでいる自分より。
長い文章となり申し訳ございませんでした。
今後とも、蹴球部への応援の程何卒よろしくお願いいたします。
筑波大学蹴球部
理工学群応用理工学類4年
内田 郁真