「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
紀貫之が書いた『土佐日記』の書き出しです。
学校の授業で習った人もいることでしょう。
私の高校の定期テストでは、この一文の「すなる」と「するなり」における「なり」の助動詞の意味の識別が出題されました。
「すなる」の「なり」は伝聞、「するなり」の「なり」は断定の意味を表します。
自己紹介が遅れました。
筑波大学蹴球部4年の中尾拓夢です。
今回、部員ブログを書く機会を頂き、大変光栄に思っています。
これまで先輩方や同期の素晴らしいブログを見てきたなかで、私の今の気持ちを土佐日記風に表現するとこのような文になります。
「蹴球部員もすなる部員ブログといふものを、私もしてみむとてするなり。」
気がついたら4000字近い文章になってしまいました。
長い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
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今回、ブログのタイトルに「魔法のあやとり」という名前を付けました。
ところで、皆さんは「あやとり」という言葉からどのようなイメージを思い浮かべますか?
昔ながらの遊び、小学生の遊び、不器用な人には難しい、「ドラえもん」ののび太の得意技etc……。
様々なイメージを思い浮かべることでしょう。
それでは、皆さんの中で「あやとり」から「サッカー」や「筑波大学蹴球部」を思い浮かべた人はいましたか?
おそらくいないと思います。
あやとりはスポーツでもないですし、蹴球部員にあやとりの名人がいるというわけでもないです。
このように、「あやとり」と「サッカー」、「あやとり」と「筑波大学蹴球部」は一見結びつきそうにありません。
しかし、私は筑波大学蹴球部で4年間を過ごしてきた中で、
「筑波大学蹴球部は魔法のあやとりである」
と感じています。
これから「魔法のあやとり」について詳しく述べていくのですが、その前に「あやとり」と表現した理由について説明していきます。
「あやとり」という言葉を使った理由は、私が「サッカーはあやとりのようである」と感じているからです。
私が「サッカーはあやとりみたいだ! 」というように、新たな発見をしたわけではありません。
このように感じたきっかけは、明治大学文学部教授である斎藤孝さんの『誰も教えてくれない 人を動かす文章術』という本を読んだことです。
斎藤さんは本の中で、凡庸な文章にならないためには、結論を別のキーワードに置き換えることが必要だと述べています。
その例として、「チームワークが大切だ」という結論を「あやとり」に置き換えてみるというものが紹介されています。
以下の文は本からの抜粋です。
「あなたはそこで『うーん、何だろう。ゲームがピッとうまくいったときっていうのは、そうだ! あやとりみたいな感じかな』と思ったとします。
『あやとりっていうのは、糸がきつすぎても緩みすぎてもだめなんだ。ポイントポイントで全部の指が呼吸を合わせて、ピッと糸が張られて、うまく形ができた状態。これが僕にとっては、チームワークがうまくいったときの感覚に似ている。それぞれの指が糸を引っ張りすぎたり、逆にゆるませたりしないのと同じように、チームのメンバー一人ひとりが各々のポジションで適切な働きをしなくちゃいけない。やっぱりチームには“あやとりセンス”っていうものが必要だな』」
本では「チームワーク」という観点から述べられていますが、サッカーにおける心理面もあやとりのようであると考えています。
「サッカーはミスのスポーツ」と言われることもありますが、試合中は当然ミスを減らすた
めに集中しながらプレーする必要があります。
しかし、時には想像力や遊び心のあるプレーも必要です。
また、試合開始とともにアドレナリンを全開にしていくと同時に、相手や試合状況を見極めてプレーを選択する冷静さも必要になります。
以上のようなサッカーの心理面も、「糸がきつすぎても緩みすぎてもだめ」というあやとりの特徴に似ていると考えています。
さて、「サッカーはあやとりのようである」ということについて述べましたが、「筑波大学蹴球部が魔法のあやとりである」というのは、どのような意味が含まれているのでしょうか?
私が「筑波大学蹴球部が魔法のあやとりである」と感じている理由は、3つあります。
①毛糸の品質が良い
②ひもの色を自由に変えることができる
③これまでになかった新しい技を作ることができる
これから、それぞれについて詳しく述べていきます。
①毛糸の品質が良い
あやとりをするときには、当然のことながらあやとりひもが必要になります。
あやとりひもは大抵の場合、毛糸を使うことが多いです。
それでは、あやとりで使う毛糸には、どんなものが適しているでしょうか?
ひもを引っ張った時に簡単にちぎれてしまうと困ります。
伸縮性があり、手に馴染んで絡みにくく、滑りが良い。
このような毛糸があるとあやとりをしやすいですね。
「毛糸」について述べてきましたが、「毛糸の品質」が「環境」に当てはまると考えています。
毎年Jリーグに選手を送り込んでいるレベルの高さ。
試合の振り返りや相手チームのスカウティングの映像を作成する、選手の意見を受け止めて傾聴してくれるというように、学生に本気で向き合ってくれる院生コーチの方々。
応急処置やリハビリ、マッサージなど怪我人に親身に寄り添ってくれるトレーナーの方々。
オン・ザ・ピッチの観点だけでもこれだけあります。
続いて、オフ・ザ・ピッチです。
学生主体であるため、それぞれが部のために与えられた仕事を行う局活動。
それぞれが学びたいことを自由に選べ、学んだことを自分やチームのパフォーマンス向上に生かすパフォーマンスチーム。
つくば市の少年団にコーチとしてサッカーを教える普及局の活動。
ここに挙げたもの以外でも、数多くの活動があります。
↑審判局による審判派遣活動の様子
↑パフォーマンスチーム・アナライズ班の活動の様子
↑普及局による低学年フェスティバルの様子
このように、オン・ザ・ピッチとオフ・ザ・ピッチの両方の面、つまりあやとりひもにおける伸縮性や絡みにくさ、滑りの良さといった条件が整っているのです。
②ひもの色を自由に変えることができる
先程「品質の良い毛糸」を使っていると述べましたが、それだけでは「魔法のあやとり」になりません。
せいぜい「品質の良い毛糸でできたあやとりひも」です。
それでは、なぜ筑波大学蹴球部を「魔法のあやとり」と表現したのか?
その1つ目の理由は、ひもの色を自由に変えることができるからです。
ひもの色を自由に変えることができる理由は2つあります。
1つは、蹴球部員の多様性です。
筑波大学蹴球部の部員で最も人数が多い学部は、体育専門学群です。
しかし、それ以外にも教育学類、応用理工学類、情報科学学類、医学類といった色々な学部の部員がいます。
他には、過去に海外に住んでいたことがある、英語やフランス語、韓国語を話すことができる部員もいます。
中学や高校において、サッカー以外のスポーツをしていた部員も所属しています。
つまり、全ての部員がそれぞれの色を持っている中、似たような色が少ないのです。
多様なバックグラウンドを持っている人たちが集まるゆえに、色のバリエーションが豊富にあります。
色を自由に変えることができるもう1つの理由は、個人の成長です。
「毛糸の品質」で述べたように、筑波大学蹴球部ではサッカーの様々なことに挑戦できる環境が整っています。
それに加えて、向上心を持つ仲間も数多くいます。
与えられた環境を生かすと同時に、周りからの刺激を受ける。
これによって、それぞれの部員が1人のサッカー選手として、また1人の人間として成長していくことができるのです。
筑波大学蹴球部で新たなことに挑戦することで、今まで持っていなかった新たな色を手に入れることができた部員が多くいます。
また、それぞれの部員が自分の良さを伸ばしていくことで、色の明るさや鮮やかさが変化していった部員も数多くいます。
このように、部員の多様性と個人の成長という2つの要素によって、筑波大学蹴球部というあやとりひもは変幻自在に色を変えることができるのです。
③これまでになかった新しい技を作ることができる
あやとりの技で有名なものとして、「ほうき」や「流れ星」、「東京タワー」といったものがあります。
作れる技の数が増えていくと、あやとりも楽しくなるはずです。
また、今までだれも作ることのできなかった技を作ることができたら、とても嬉しいですよね。
「魔法のあやとり」と表現した2つ目の理由は、これまでになかった新しい技を作ることができるからです。
筑波大学蹴球部では、過去に以下のような取り組みがありました。
「クラウドファンディングをしてファンクラブを作ろう!」
「毎週水曜日に蹴球部員による生配信を行おう!」(Weekly 蹴球)
「ファン感謝祭を開催しよう!」(きりのはフェスタ)2019/3/31開催
↑2019年3月31日開催 きりのはフェスタの様子
これらの取り組みは、他大学のサッカー部はいうまでもなく、他大学の他の部活動でも開催しているのを見たことがありません。
(著者調べ。もし筑波大学蹴球部より前に行っている団体がございましたら、申し訳ございません。)
今シーズンは新型コロナウイルスの影響によって、関東大学リーグが無観客で行われるという状況もありました。
そんな中でも、企画局員のアイデアによって、段ボールとユニホームを用いた部員の顔写真パネルの設置といった取り組みが行われました。
↑無観客試合において観客席に設置された部員の顔写真付きパネル
すでにある技を作って満足することなく、失敗を恐れず新しい技に次々と挑戦していく。
それゆえに、これまでになかった新しい技を作ることができるのです。
以上のように、「筑波大学蹴球部は魔法のあやとりだ」と述べてきましたが、これはあくまで私が蹴球部員として過ごしてきた4年間で感じたことです。
他の部員や外部の方からすれば、「魔法なんて何もない、もはやあやとりですらない」と感じる人もいるかもしれません。
ただ、私自身は「魔法のあやとりだ」と信じています。
そして、断言できます。
筑波大学蹴球部がこれからも我々の想像を超える“魔法”をたくさん見せてくれることを。
“魔法“で人々の心を動かす存在であり続けることを。
“魔法”を使わずとも人々の心を動かす存在であり続けることを。
筑波大学蹴球部
人文・文化学群日本語・日本文化学類4年
中尾拓夢