2020.11.24 関東リーグ11節 立正大学戦 ウォーミングアップ中、何かが崩れ去ってなくなっていくのを感じた。とてつもない無力感と虚無感に襲われた。
久々のスタメン入り。勝ち点3つ上の相手との直接対決。ラストシーズン。自分にとってはきっとこれがラストチャンス。
気合いが入んないわけがなかった。
この時期の自分にチャンスをくださった小井土監督に本当に感謝していたしだからこそ何としてもチームに貢献して勝ちたかった。
この日のアップはいつもの試合前の緊張というよりは早く試合をしたい、早く暴れたいという高揚感があり、身体も軽く声も出た。「今日いいぞ俺」正直その感覚があった。
そしてアップ終盤のフリーの時間。味方選手にゴール前で浮き球を要求しジャンプしながら胸トラップをして振り向き様にボレーシュートを打った。良い感じやな俺。
ドンッ。
ボレーから着いた右手に何かが、誰かがぶつかったような感覚があった。
咄嗟に人が自分の後ろにいたんだと思い「おいお前邪魔だろ」って言いかけた。
でもそこには誰もいなかった。
そして次に自分の肘を見ると骨が本来あるべき位置になかった。
これは解剖学のテストに苦戦した僕でもわかった。
「え、うそやん」
その時は痛みは本当にほとんど感じなかった。トレーナーに連れられピッチを出た。
でも明らかに骨が外れてんのに「今はめたら今日試合出れますよね」ってしきりにトレーナーに言っていた。
痛みよりも試合に出たい。出ないといけないって気持ちの方が強かった。
でも周りの反応や冷静になって肘の激痛に気づき、終わりを悟った。
「ダサすぎる。どこまで行っても。」
悔しいというよりは何もなかった。情けなすぎる自分に呆れていた。
肘を抱えながらピッチを出ていく時、チームメイト、スタッフそして小井土監督に本当に申し訳なかった。
今思えばそんな思いばかりの4年間だった。
星稜高校から推薦入試で筑波大学に入学することができた。運が良かったと思っている。
推薦で入れたこともありトップチームで1年時から練習させてもらえた。
周りのレベルの高さに本当に驚いた。「俺やってけんのか。」って正直思った。
入った年は前年度にインカレを優勝した主力メンバーの先輩が数多く残っており、事実天皇杯で勝ち進み、関東リーグも優勝した。
でもこの中でなんとかもがいて絶対プロになる。ここで出て結果を残せばきっと未来が開ける。そう信じてプレーすることを誓った。
一年時は現ジュビロ磐田の中野誠也さん、現モンテディオ山形の北川柊斗さんが在籍していた。間近で見る二人は本当に圧倒的なストライカーでFWの僕としては学ばせてもらうことが本当に多かった。一年時はひたすら学んで力をつけて与えられたわずかな時間で結果を残そうと思っていた。
後期リーグに交代出場の機会を多くもらってチャンスも何度かあったがゴールという結果を出すことはできなかった。
2年になり圧倒的な2人が卒業し、トップチームにFWは少なくなり、俺がやってやろうと意気込んだ。しかしそのシーズンもわずかなゴールしか決められず怪我もしてしまいチームに貢献できなかった。
3年になり新たな戦力も入り、結果を出し切れていなかった僕は徐々にトップチームでの居場所を失って行った。
事実3年時のシーズンの秋はB1チームで過ごした。
当たり前のことだった。実力も結果も出していない自分がいつまでもトップチームにいて試合に関わることなどできない世界で学年が上がれば上がるほどさらにその可能性や将来性は薄れていく。
入学した時は想像もしなかったが3年時は就活もした。結果も出せないまま漠然とサッカーを続ける自分にも嫌気がさしていたからだ。
事実内定も頂くことができサッカー以外の道は開けた。
そして4年生。僕は副将になった。ただチームが好きだから。何かチームに残したかった。
プレシーズン調子は良かった。しかし突然訪れたコロナ。意味がわかんなかった。なんでこのタイミングなのか。最後のシーズン息込んでた自分にとって正直ダメージは大きかった。
そして長い自粛期間を終え、多くの方のご尽力のおかげで関東リーグが開幕した。過密日程で行われるスケジュール。チームの総力が問われ自分も出場機会が少なかった去年に比べ序盤はチャンスをもらえていた。
しかし前期終わってノーゴール。
気づけばまたトップチームから名前が消えていた。正直4年になって落ちるのは本当に応えたし選手は諦めようかと思った。
また自分は結果を残せずトップチームでの居場所を失った。
「何回同じことしてるんや、、、」
もうこうなったらと思いトップサブでは割り切って最後になり得るかもしれないサッカー人生思いっきり楽しんでやろうとプレーした。今でもそれは自分にとってはある種良いマインドになっている。
一回一回の練習に全力で取り組みサッカーを楽しむことにやっと気づいた。
落ちて約1ヶ月半。またトップチームのメンバーに入った。もうラストチャンスだと分かっていた。下のチームから上がってきた4年生の自分にチャンスはもちろん少なくベンチやメンバー外で過ごす時間は多かった。でも一回一回の練習が楽しかったしどんな状況でもベストを尽くそうと臨んでいた。一喜一憂してる時間は自分にはもうないから。
そして回ってきたチャンス。11.24立正大戦。前日練習でボードを見て自分がスタメンにいて一瞬驚いた。もちろん来たるべきチャンスのために練習はしていたがスタメンが久しぶりで。それとともに腹は決まっていた。ラストだと。やるしかない。
しかしそんな当日僕はピッチに立つことすら出来なかった。
冒頭の出来事が起きた。
そして今ふとある先輩に言われた言葉を思い出した。
「お前って良い意味でネガティブにもってるよな」
星稜高校、筑波大学と僕がずっと背中を追ってきた現FC琉球の鈴木大誠さんに言われた。
正直言われた時は全然意味が理解できなかった。
今までお前そこで怪我する?ってタイミングやそのシュート外す?ってことやそんな怒られる?ってことばかりではあった。
確かに自分でもネガティヴな意味でもってんなーって思うことはある。
でもそれは誰のせいでもなく全て自分の行いや積み重ねからくるものでいわば自業自得だ。
失敗していつもこうしなきゃいけないと思うがまた失敗する。甘すぎる。また露呈した。
しかし最近そんな自分を客観的に見れるようになり恵まれていることにも気づきやっと鈴木さんの言葉を自分なりに解釈できるようになってきたと。
俺ってネガティヴでもってることで色んな人に支えられてきたし少しは支えられてんじゃないかって思った。
脱臼した日も色んな仲間がメッセージをくれたしトップチームの同期が家にきてくれた。めちゃくちゃ笑われた。ダサいと。大体こういう時は決まっていじるか笑われるか、多分あんまり心配はされてない。
でもそれで良い。自分では辛いかもしれない時もいつも誰かが居てくれたし、大学時代はいつも仲間が笑いものにしてくれることで僕は救われた。
こんなダサい感じでラストシーズンのアップ中に自爆で怪我する人もなかなか居ないし、少なくともこの4年間で試合中にあそこまで小井土監督を怒らせた人もいないと思うし、関東リーグでゴールから30センチメートルのシュートをふかすのもなかなか居ない。
やりたくてやってるわけではないし全ては自分の足りなさにあるがこの経験自体は仲間を元気付けられるし安心材料になるんじゃないかと。
だから絶対にめげたくはない。後輩たちや同期が変なミスした自分がなんとかポジティブに生きてるとこをみて少しでも活力になれば良いと思っている。何度でも立ち向かうと。
決して自虐とかではなく客観的に自分を見てそう感じている。
経験の多さや深さが人間性を形成するとも考えている。大学時代自分自身に立ち返ると辛い経験が多かったがその分自分の未熟さと周りに支えられて生きていることを思い知った。まだまだ挑戦を続けるべきだし経験すべきだと思う。
でも自分の大学サッカーはまだ終わっていない。最後まで復帰をあきらめないしチームに何かを残したい。
言わせてもらえれば描いていたものとは違うクソみたいな大学サッカーだと思っている。でもクソ最高にするかクソ最低にするか今後の自分の生き様、行動にかかっている。
走り続けないといけない。腕が入れようが足が折れようが。自分の中で成長し続けないといけない。
そしてとにかくみんなと笑いたい。蹴球部が大好きだし同期や後輩が大好きだからだ。
そんな日を1日でも長く過ごしたい。
いつも色んな大学の部員ブログ読むがみんな良いこと書いてるし日本語上手い。もっと崩せよ〜って思う。自分の心や口に出るそのまんまを書いてもおもろいんじゃないのか。
拙い文章だし日本語下手だけど自分のありのままの気持ちを書いた。
これが怪我した次の日の気持ちだ。
P.S
今回本当にお医者さんの偉大さを改めて実感した。脱臼してはめる時ってめっちゃ痛いな。あのRKUの駐車場のハイエースで押さえられてパコってはまった瞬間は忘れません。トレーナー、ドクターの方々ありがとうございました。
あれはめれる人は本当にすごいと感じた。同期の医学部頑張れ。ミヤ、れいた!
筑波大学蹴球部
体育専門学群4年
窪田翔
現FC琉球 鈴木大誠さんのブログ
#16 「サッカーの何が楽しい?」
https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/16331