「前の選手は後ろの選手の指示を聞いて、その指示をもとに連動してボールを奪いに行こう」
これはごく一般的なサッカーのトレーニングで交わされているコーチングです。
しかし、自分にはこれが理解できません。
いや、理解はしているけどできないと言った方が正しいでしょうか。
なぜなら耳が聞こえにくいからです。
これはもちろん耳が聞こえていることを前提に作られた指示です。しかし、私にとってはその前提すら成り立っていません。まず、それを「どうやってやるか、どう補うか」からスタートしなければいけません。何をするにしても他の人よりもマイナスのところからスタートするのが、自分にとっての普通でした。
「原因を考えろ。」「なぜそう起きたのかを考えろ。」と言われることが世間一般的には多いと思います。しかし、「なぜ」を考えても仕方がないと言う状況に遭遇した人はなかなか少ないのではないでしょうか。
耳が聞こえにくい。
それはれっきとした変えようのない事実でした。自分が生まれた時から耳に障害があったのですから。いくら理由を探しても永遠に答えは見つかりません。ましてや、現在の医療レベルでは悪化することはあってもこの先治ることは絶対にありません。
人は往々にして自分ではどうしようもない理不尽な状況に追い込まれてしまうことがあります。
さて、こうなった時、
「人生って不平等だ!出来ないのは仕方ない」
とただ喚くだけか、
「他の人以上に考えて動かなきゃいけない」
「出来ることで工夫しなきゃいけない」
「まずは自分に出来ることに全力を尽くそう」
と考えるかで、随分差が出るように思います。
聞こえないから、全部できないわけではない。
聞こえなくても、率先して声を出すことはできる。
聞こえなくても、率先して盛り上げることはできる。
対戦相手に「滑舌悪い奴いるぞ」と馬鹿にされても、「何言ってるかわかんねーよ」と笑われても、それだけはやり続けました。それだけは自分でも出来ることだと思っていたからです。
相手の足音や味方のコーチングが聞こえなくてボールを奪られるなら、不用意に当たられても負けない体を作った方がいいと思いました。
だから、周りから何かを言われても身体を鍛え続けました。
普段の会話とかであれば、立ち位置を工夫したり、読唇を使ったりすることで、障害を感じさせないようにすることはできます。
でもサッカーをしているときは、ほとんど声が聞こえません。サッカーの時に周りから入ってくる音は、雑音のように聞こえます。
個人競技であれば、そもそもコミュニケーションをそこまで必要としないので、ハンディキャップも感じないと思います。
なのに、なぜサッカーを好きになったのでしょう。
声が聞こえなくて、味方と連携がうまくいかない時も多々あります。
連係ミスが続いた時、試合状況が苦しい時、ピッチ上には他に10人の仲間がいて、ベンチにも数多くの仲間、そして応援席から応援してくれる応援団がいるはずなのに、時々孤独を感じてしまう時があります。
周りの声が僕の耳に全く届かないからでしょう。1人で戦っているような気分になってしまいます。
サッカーはコミュニケーションのスポーツともいわれます。コミュニケーションが本当に大切です。でも、自分はコミュニケーションをとることが難しいです。
サッカーは、ミスがつきものののスポーツです。そして、点がバンバン入るようなスポーツでもありません。
だから、1点にかける重みは大きいです。
点が入った時はめちゃくちゃ喜ぶし、点を入れられた時は心を切り替えようと声を張り上げます。
何度も言いますが、ぼくはプレー中は味方の声やチャントがほとんど聞こえていません。ボールや試合の局面に集中しているからです。
でも、プレーが完全に切れて試合の局面に集中しなくてもよくなった時、音声がクリアになる瞬間があります。
そう、ゴールを決めた瞬間、勝った後のみんなで喜ぶ瞬間の声ははっきりと聞こえるのです。
勝つために全員で戦い、相手のゴールを目指し、自分のゴールを守る。
みんなと心が通じ合い、それがプレーに現れた瞬間が本当に好きです。
耳が聞こえていないからこそ、余計そう感じるのかもしれません。
そして、それがゴールや勝利という形で出せた時はなんとも言い難いものがあります。
僕が、唯一みんなと直接繋がりあえると実感できる瞬間。
その景色が最高に好きです。
だから、僕はサッカーを好きになったのだと思います。
僕は、以前書いた部員ブログで
「自分が蹴球部で少しでも上のカテゴリーにあがり、個人のレベルを上げることがデフサッカーのレベルを上げることにも繋がり、障害を持っていても高いレベルでサッカーできるという子供たちの希望になるかもしれません。どんなマイナースポーツであろうと、”日の丸を背負うということ”に責任とプライドが生じることに変わりはありません。」
「#15 声が聞こえないサッカー(野寺風吹/2年)」
https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/16328
このように書きました。
これを書いてから2年。
3年時は1つ上のカテゴリーに上がったものの全く試合に絡めず、4年時に結局一つ下のカテゴリーに降格。レベルアップどころか自分への不甲斐なさが増すばかりでした。
蹴球部での立ち位置とデフ日本代表での立ち位置が対極すぎて、その葛藤が増すばかりでした。自分にイライラしていました。
お金を貰いながらプレーするに値する選手なのかと、悶え苦しみました。
サッカーが楽しくない時もありました。
それでも、逃げたら負けだと言い聞かせてどちらもやり続けました。
蹴球部生活4年目を迎える今でも、「野寺は指示が聞こえてないから厳しいよな〜。」と言われる時があります。「そうだよな〜。」と笑いながら返しつつも、内心は煮えたぎるように悔しい思いで溢れています。
もちろん原因は全て自分にあります。
全て自分の実力不足でしかありません。
悔しいと言っているだけで、正しい努力ができていたかどうかもわかりません。
ただ、自分にとって1番の目標は、「生まれながらにしてハンディキャップがあっても、それを覆せるということ」をサッカーで証明することでした。
「あいつ、本当に耳が聞こえてないの?」と思わせるようなプレーをすることでした。
自分が一番ハンディキャップを感じるのがサッカーをしている時で、だからこそサッカーで上のレベルに行くことで、そんなものなど乗り越えられると証明したかったのだと思います。
結局、自分は劣等感の塊で、ハンディキャップへの思考から未だに脱却できていません。
障害があることで今まで受けてきた理不尽なことに対して、まだ心のどこかで引っかかっているのだと思います。
劣等感でできた人間だと思いました。
でも、それが悪いことだとは思っていません。
それこそが自分のアイデンティティであり、自分が何かをやるうえでの原動力であるからです。
こう書くと、非常に卑屈な人間だと感じるかもしれませんが、決してそんなことはありません。
自分よりもめちゃくちゃ上手いやつがゴロゴロいる環境の中で、真剣にサッカーできたこと。その上手いやつの思考に触れ、自分の現状から逃げ出さなかったこと。それぞれの夢や考えを尊重し、いつも応援してくれる最高の仲間が出来たこと。
おそらく、蹴球部という環境でサッカーをやっていなかったら、デフ日本代表に選ばれて天狗になっている見かけだけの薄っぺらい人間になっていたと思います。それぐらいに自分と本気で向き合った、自分の小ささを痛感させられた場所でした。
とても楽しくて、とても苦しくもあった3年半の蹴球部生活でした。本当にこの組織に入って良かったと心から思っています。
みなさんは、自分の現実を受け止められていますか。
劣等感を感じていることを受け止められていますか。
その劣等感を言い訳や現実逃避に使ってはいませんか。
自分の出来ることに目を向けられていますか。
それはとても辛い作業にもなるかもしれませんが、必要不可欠なことだと思います。
自分は、もっとサッカーが上手くなって心の中の葛藤を無くせた時、本当に心から純粋にサッカーを楽しめるようになるのだと思います。
その時を目指して、限られた残り少ない大学サッカー生活で、ほんの少しでも上手くなり続けようと思います。自分なりのやり方で人の心を動かす存在になり続けようと思います。
ベタですが、最後にいつも自分に言い聞かせている言葉を書きとめておきます。
「ないものを数えるな。あるもので勝負しろ。」
「やらない理由より、やる理由を探せ。」
拙い文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。
筑波大学蹴球部
体育専門学群4年
野寺風吹