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2025

#224艱難汝を玉にし中(渡邉温太/4年)

部員ブログをご覧のみなさま、初めまして。


筑波大学蹴球部4年の渡邉温太と申します。

日頃より筑波大学蹴球部にたくさんのご支援、ご声援をいただき、誠にありがとうございます。一部員としてこの場を借りてお礼申し上げます。


これまで数々の偉大な先輩方が熱い思いを記してきたこのブログを自分が書かせていただくのは大変恐縮ですが、引き受けた以上、責任をもって書かせていただきます。

拙い文章ではありますが、最後までお読みいただけると幸いです。



まずは簡単ではありますが、自己紹介をさせていただきます。

渡邉 温太(ワタナベ ハルト)と申します。

あだ名(愛称)でおんたと呼ばれます。

大学の所属は生命環境学群生物学類で、卒業研究のテーマはミニトマトのゲノム編集です。

部内での役割(局活動)は審判局となっております。

卒団式で言い忘れましたが、来季は筑波大学生物学位プログラムに進学します。


筑波大学に来たきっかけは蹴球部があったからです。今回のブログでは自分が蹴球部を目指したきっかけと蹴球部での経験について書かせていただきます。また、その経験をどう活かすのか、考えたことを皆様にお伝えします。




まずはサッカーを始めたきっかけについて。

サッカーを本格的に始めたのは小学2年生のころ。

兄がサッカーしていたことをきっかけに、地元のサッカーチームに参加してサッカーを始めた。が、このころはまだ幼いものでイナズマイレブンの「ファイア〜トルネ〜ド」とか、「ゴットハンドぉ」とか言っており、サッカーに興味はあったものの、自分が上手くなってチームをなんとかする!みたいな気概はなかった。


サッカーを通して勝負の大切さ、競争を感じたのは小学4、5年生のころ。一個学年が下のサッカーが上手な子と試合に出た時に父親にこう言われた。

「全然ダメだ、あの子に負けてるぞ」

正直びっくりした。体格は全然自分の方が大きいし、チームのキャプテンもやってる。それでいて負けているのか。


さらに、同じ小学校の友達2人がサッカーチームに入ってきた。それまでソフトボールをやっていた友達とサッカーをやっていなかった友達。サッカー歴なら圧倒的に自分の方が長いのに、すぐに実力で負けていた。

チーム内での競争になんにも気づいていなかった低学年のころはそれでも良かったが、高学年になると劣等感を感じて徐々にサッカーが嫌いになっていった。しかし、嫌いになったところで、当時の自分にサッカーをやめる勇気がなかった。


「サッカー嫌いだけど負けるのは悔しいから練習しよう」


サッカーが好きというよりシンプルに競争に負けなくないという思いでの練習。あんまり楽しいものではなかったが、数ヶ月が経つとトレセンに選ばれたり、大会のMVPに選ばれたりするなど良い結果が得られた。結果が出るとサッカーが楽しくなり、自ら練習するようになった。中学生、高校生になっても、結果を求めてたくさん練習した。当時は結果が得られ楽しかったが、この思考法がのちに大学生になる自分を苦しめた。


蹴球部への入部について

中学生の時から筑波大学でサッカーをすることを目指していた。私立高校などのサッカーの強い高校は勉強の時間を部活に割く学校が多かったため、進学を躊躇した。高校でサッカーが強い場所に行くのではなく、大学でサッカーが強い場所に行く決断をし、当時公立高校で最もサッカーが強かった高校に進学した。高校ではサッカー、勉強ともに充実した日々を送った。


大学入学時はとてもワクワクしていた。なんせサッカーの強豪大学の一員になり、頑張ればプロになれるのだから。しかし試合に出ることはあってもカテゴリーアップできず、挫折した。


「何をしに筑波大に来たのか」


結果が出ない現実。同期がカテゴリーアップする焦り。焦りからの怪我。苦しかった記憶しかない。熱く応援してくれる先輩や同期の期待に応えられない。何もかもいやになった。何もしたくない。一向に上手くならない自分は他の部員に「劣っている、負けている」と思うようになり、負けて、負けて、そうしていつしかサッカーをする意味についてかなりネガティブに考えるようになった。何をやっても成功しないし、勉強や研究、そのほかにもやらなければならないことは山ほどある。大学生活という貴重な時間の中で、週5の練習とそのケア、筋トレ、試合など莫大な時間を要する部活は果たして時間の使い方としてあっているのだろうか、いやあっていないだろう。と。

そう考えながらも自分なりに全力で蹴球部とサッカーに関わり続けた。


時がたって振り返ってみると時間の使い方としては最も正しかったと感じている。

なぜならたった4年間思うようにいかないことが多いだけで自分自身、これほどまでにネガティブなマインドになれるということを知ったためである。社会にでれば4年以上うまくいかないことなど多分ざらにある。社会人となれば自分の能力、仕事に応じて給料をもらって家庭をもったり子供を育てたりしなければならない。ネガティブになって仕事のやる気を失ったとき、そのダメージを受けるのは自分と大切にしたい人たちである。一方で、大学生ならダメージを受けるのは自分だけで、支えてくれる家族、仲間が大勢いる。様々な人に助けてくれたおかげでネガティブマインドから脱却できた。


動物は痛みや嫌な記憶を良い記憶よりも忘れにくい。自分にとってこの4年間は間違いなく忘れにくい記憶が多く残った(良い記憶ももちろん残ってます)。ただ今はその嫌な記憶さえもポジティブに捉えて将来の自分の肥やしになる予感がしている。皆様にはこれを伝えたくブログを書きました。生きていれば常に行動し、その結果を受ける。その結果は良い時もあれば悪い時もある。たとえ結果が悪かったときでも、時間を全力で過ごすことでプラスになる。あとからプラスだったと気づくことがある。何であろうと、何かにひたむきに取り組むことが確実にプラスになる。その仮説がこの4年間の経験で成り立ちました。


この仮説は今後の自分の人生で正しいか正しくないか調査してみたいと思います。

読者の皆様におかれましても仮説の信ぴょう性が高めたいため調査いただけると幸いです。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。


この場をお借りしてこれまでお世話になった、

千代SC、アビスパ福岡アカデミー、吉塚中学校サッカー部、福岡市中学校選抜、新宮高校サッカー部そのほかサッカーを通じて関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。

現在はサッカープレーヤーを引退し2級審判員として1級を目指して活動しています。

今後ともよろしくお願いします。


筑波大学蹴球部4年

生命環境学群 生物学類

渡邉温太



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