Blog

ブログ更新情報


2023

#164 オーバートレーニング症候群になったけど (栗原秀輔/4年)

暗かった。
風景がモノクロのように感じた。
真夜中の暗さでもない。
朝練前の薄暗さでもない。
うまく言い表せないけど、暗かった。

それでも皆がいたから、戻ってこれた。





こんにちは。
昨シーズン主将を務めました栗原秀輔です。
まず初めに、2022シーズンも筑波大学蹴球部へのご支援ご声援をいただき、誠にありがとうございました。

この機会に、僕が筑波大学蹴球部で経験した全てを、嘘偽りなく正直に、そして素直に書き記したいと思います。
拙い駄文で恐縮ですが、最後までお読みいただければ幸いです。

筑波大学蹴球部はあまりにも大きい。


筑波大学蹴球部。大学4年間。
大衆的には人生の夏休みと言われるほとんどの時間をここ筑波で過ごした。
フレッシュマンコースを終え、晴れて入部の時を迎える。
歴史ある組織の一員として認められ、嬉しかった。
それと同時に、あえて誤解を恐れずに言うとすれば、この組織への世間の評価と現在の実態との乖離に驚きを覚えたりもした。
それは世評が高すぎる訳でも、実際に動いている部員の一つ一つの言動が目に余る訳でもない。
2年、3年と代を追うごとに覚えるその違和感は、最終学年をもってして、少し言葉にできるようになった。
簡潔に言えば、この組織は少々でかすぎる。

"126年"
長い時間、積み重ねられてきた歴史は僕らの誇りとなり、背負うべき責任に変わる。

"大学サッカーを牽引する"
見栄えの良い僕らの使命は、達成したという明確な指標は無く、大きく、遠い。

学生だけで動かしていくには、200名を擁するこのクラブはとても大きい。
背負うべき責任も、達成すべき目標も、そのために要する時間も努力も、いち大学生にはとてつもなく甚大だ。

ただ、裏を返せば、それは僕らにしかできない挑戦でもある。

結果として日本一というタイトルを獲れたかどうかだけではない。
実際に大学サッカーを牽引しているかどうかだけではない。 
強くあり続け、高みを目指し続ける。
日々そこへ挑戦することに価値があるのだ。

それが解った時には、筑波大学蹴球部がもっと好きになっていた。


主将として


"筑波大学蹴球部にどう貢献していくか"
"筑波大学蹴球部でどう成長していきたいか"

各部員が各々の答えを持ち、行動に移している。

「主将として、部に貢献したい。」
そう覚悟を持って、立候補した。

「変えたい。」
学年が異なれば、隣にいる部員の名前も知らない状況を。
チーム間の関わりが薄く、まとまりに欠ける部を。

「引き継ぎたい。」
下級生は知らない声出し応援を。
仕事の減少によって機能していない局の制度を。

脈々と受け継がれてきた伝統を、
コロナ禍によって失われかけた文化を、
「今後も繋いでいけるように。」

「そして、成し遂げよう。」
2016年以来、遠ざかっている"日本一"になること。
ただタイトルを獲るのではない。"日本一の組織"になること。
そのために、"日本一の取り組み"と、"日本一の結果"を求めること。
"一人一役"で、部員一人一人が、"自分が筑波を頂に連れて行った"と言えるようになること。
そうすることで、"人の心を動かす"こと。


自分なりに、何度も何度も言葉にして伝えてきた。
けれど、僕は大事な時につくばにいることができなかった。


筑波を離れる時


4年目の10月、オーバートレーニング症候群になった。なったと言うか、そう診断された。
受け入れられなかった。
確かに身体はうまく動かなかったけど、それは怪我からの復帰明けだから。そう思っていた。
寝れないのは考えすぎだからだし、食欲がないのはちょっと調子が良くないから。本気でそう思っていた。

「今の状況であれば、筑波を離れて療養した方が良い」
診察室で先生に言われ、言葉が出なかった。
頭が真っ白になり、目の前が真っ暗になった。

筑波にすら居れないという事実に、理解できていない自分の状況を、突きつけられた。

実家のベッドの上でも、簡単には整理がつかなかった。
でも確かに、なんかよく分からないけど、もう頑張れなかった。
不思議なことに、立ちあがろうという気力が湧いてこなかった。
いつからかサッカーをしたいという感情が無くなっていることに気が付いた。
そして何より、部員の皆と顔を合わせるのが怖くなった。

筑波を離れる時は、思っていたよりも、周りの同期よりも、早かった。


待ってるぞ


筑波から離れた場所でも、考えるのは筑波のことだった。
思い返せば、4年間で数えられるくらいしか試合に出ることはできなかった。
自分が活躍してチームを勝利に導けたことなんて、ほとんどなかった。

部の主将であると同時に、TOPチームのキャプテンである自分に、何ができるだろうか。
いや、何ができただろうか。

暗かった。しんどかった。
きついと言うより、しんどかった。
逆境に立ち向かうことができない自分が情けなかった。
口では大きいことを言ってきた今までの自分へ、苛立ちが止まらなかった。

ださいと思った。
何一つ達成していない自分が、恥ずかしかった。
心の底から惨めに思えた。
達成しようと努力することさえできなくなっている自分が、受け入れられなくて、泣いた。


実家にいても仲間からのメッセージは届いていた。

「大丈夫か」
どう返せばいいか分からなかった。

「待ってるぞ」
嬉しかった。
でもその言葉すら、嬉しさよりも、苦しさに襲われた。

LINEの通知欄はゆうに100件を超えた。
連絡すら返せない自分に、また失望した。

吐き出したいほどの自己嫌悪によって、景色が脱色されていった。


幸せ者


医師の先生の言葉通りに、サッカーから離れた日々を過ごしていた。
変な感覚だった。
これまで怪我をしても、こんなに休んだことはなかった。
ましてや1歩も家から出ない生活なんて、ほとんど送ったことがなかった。
生ぬるいゼリーを食べているようだった。


数週間経って、散歩が日課になった。
少しずつ、少しずつ、草木の色合いや差し込む陽の様子が、鮮やかさを取り戻し始めていた。
それでも不思議と、体を動かしたいとか、トレーニングを積みたいという感情は戻ってこなかった。


試合を見た。
3週間ぶりに、サッカーを観た。
1グラに多くの応援が駆けつけているのが、YouTubeの画面上からでも分かった。
絶対ラインを割るだろうというボールを諦めず追いかける、いつもの和田がいた。
試合に目もくれずベンチ裏で事務作業に専念する、主務の吉田がいた。
皆がいた。毎日顔を合わせていた皆が。


戻りたいと思った。
サッカーをしたいという感情はなかった。
それでも、チームの力になりたいと思った。
プレーできない自分に何ができるかなんて分からないけど、"貢献したい"と強く思った。


「選手として復帰したいなら、他の環境を探したほうが良い。」
医師の先生の言葉よりも、自分の感覚を大事にしたいと思えた。

「いるだけで力になれる。」
まるこさんが伝えてくれた。

「賢いバカになれ」
2年前の研究室、小井土さんの言葉が蘇った。

気付けばぼやけていた視界は、いつのまにか晴れていた。

1ヶ月ぶりの1グラには、いつもと変わらず接してくれるチームメイトがいた。
ピッチにすら立てなくなった自分のチャントを、相も変わらず歌ってくれる、仲間がいた。


幸せだった。


オーバートレーニング症候群になったけど


2023年3月23日、昨日の卒部式をもって僕たち46期の4年間が閉幕した。
率直に言えば、それらは決して思い描いていた通りにはならなかった。
僕個人で言えば、プロサッカー選手になるという夢は叶わなかったし、一度も日本一の頂に立つことはなかった。
それでも、この4年間が人生で最も充実し、濃密で誇らしい時間だったと思えるのは、なぜなのだろうか。

ここ筑波で、これまで感じたことのない感情を数多く味わった。

湧き立つような拍手と共に自らの名が叫ばれるあの高揚も。

自分の弱さを痛感させられる悔しさも。

勝ちロコを踊る部員の笑顔を見た時のあの充実も。

無力で何も貢献できない情けなさも。

筑波での時間は有限であるという無念さも。


これらは全て1人では得られなかった経験で、きっとだからこそ、今胸を張って言えることがある。


「幼い頃からの夢は叶わなかったけど、

強い筑波を取り戻すことは出来なかったけど、

オーバートレーニング症候群になったけど、

フューチャーブルーが自分のサッカー人生最後のユニホームになったけど、

筑波に来て、良かった。

ここで、筑波大学蹴球部で、最高の仲間と出会えたから。」


僕は決心がついた。
「この愛するクラブ、筑波大学蹴球部でサッカーを辞める。」
容易い決断ではなかった。
費やしてきた時間も、積み重ねた努力も、描いた夢も、これだけのエネルギーを捧げてきたものと別れを告げる決断は、簡単ではなかった。
もちろんプロの世界に行く実力がなかったことも分かっている。
だからと言って、他のカテゴリーでどこかのクラブを探して、復帰を目指すことは不可能ではなかった。
こんな形で終わって、一度もピッチに戻れずに大好きだったサッカーを辞めることへの抵抗も、強くあった。
けれども、実際はそれよりも、自分の心に答えがあった。
結論から言えば、今だにサッカーをしたいという感情が生まれてこないことが、何よりもの理由だった。
そして、同期の進路選択に驚き、僕も次のステージで、新たなトライをしてみたくなった。丸裸になって、これまでの経歴も学歴も、如何なる看板も有さない場所で。
この決断を支えるのは、いつだって仲間の存在で、ライバルで、相棒だった筑波のあいつらだ。
彼らはなりたい自分に向かって、時に海を渡ってでも、時に内定先を断ってでも、挑戦することを厭わない。
嬉しい一時も、苦しい瞬間も、家族よりも長い時間を隣で過ごしてきたからこそ分かることがある。
そんな同期たちを見て、問われている気がした。
"覚悟はいいか"と。


人は何回でも生まれ変われると思う。生きてさえいれば。
憎んでも、恨んでも、自分がオーバートレーニング症候群になってしまった事実は変わらない。
だからこそ僕は、この現実に意味を持たせたい。
振り返った時に、"あれがあったから今の自分がいる"と思えるように。
生まれ変わるなら、生きているうちに。






最後に


これまで、数多くの心動く瞬間を、同期や先輩、後輩、そして筑波大学蹴球部を支える全ての方々と共有できたことを幸せに思います。
それと同時に、小井土先生をはじめとする、筑波で出会えた全ての方々へ、心より感謝申し上げます。
強く、愛されるこのクラブの主将として、皆様と共に戦えたことが僕の誇りです。
本当にありがとうございました。

この文章が、今何かに悩み、立ち止まり、苦しんでいる誰かに届き、少しでも力になれば幸いです。
そして何より、今後もまた思い悩むであろうこの先の自分へ、このブログを何度も読み返し、共に歩んでいくことをここに誓います。


最後に同期へ
今日卒業を迎えた皆と、共に学び共に闘ったあの時間が僕の財産です。
途中でいなくなってしまったけれど、皆がいたから戻ってこれました。
こんな自分についてきてくれてありがとう。
支えくれてありがとう。
これから先も、それぞれの場所で、それぞれの個性を発揮して、頂に立とう。
これまで通り、刺激し合って、支え合おう。
皆に負けないように、僕も次なる目標に向かって精進していきます。
4年間ありがとう。そしてこれからも。





末筆になりますが、2022シーズンも筑波大学蹴球部への多大なるご声援誠にありがとうございました。
皆様のご支援のおかげで、我々は最後まで前に進み続けることができました。
本当にありがとうございました。

これからは頼もしい後輩たちが、生まれ変わった1グラで、必ずや新しい歴史を築いていってくれると信じています。
今後とも筑波大学蹴球部へのご支援ご声援のほどよろしくお願いいたします。

筑波大学蹴球部

体育専門学群 4年

2022シーズン主将 栗原秀輔


コメント
名前

内容


筑波大学生
2023-06-25 21:32:51

震えました。こんなにかっこいい人がいらっしゃる筑波大学にいられていることに誇りを感じます。自分の中で火がつきました。