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2023

#151 継続は力なり(藤本未来/4年)

こんにちは。
日頃より筑波大学蹴球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
筑波大学体育専門学群4年の藤本未来と申します。
部員ブログを書く機会をいただき、せっかくなので自分のこれまでのサッカー人生を振り返ってみたいと思います。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。


それでは本題に入りますが、僕のことを知らない人も多いと思うので、軽く自己紹介させてもらいます。つくば市出身の21歳。中学校まで地元つくば住んでいて、高校は昌平高校に行き寮生活をしていました。その後再びつくばに戻ってきて筑波でサッカーをしています。つくば市出身ということで、筑波大学蹴球部とは小さい頃から縁がありました。小学校の頃に教えてもらっていたコーチの一人が2005年卒の蹴球部主将だった秋葉陽一さん(元水戸ホーリーホック所属)で、現在は代理人をされています。また、中学校の頃に教育実習生として僕の学校に来たのが、現日本代表で2013年卒、当時の蹴球部主将だった谷口彰悟さんでした。想像つくかもしれませんが、当時の谷口選手の生徒からの人気は凄まじかったです(笑)そんな環境で過ごし、身近に筑波大学蹴球部からプロへと旅立ち活躍する先輩方をたくさんみてきたので、筑波に入ってプロサッカー選手になりたいと思うのはある意味必然だったかもしれません。








僕には、小学校の頃から母親にずっと言われてきた言葉が2つあります。

1つ目はこの言葉です。

「勝てないんだったら、その人の何倍も何十倍も努力しなさい。勝てるようになるまで努力する。そしたらいつか勝てる日が来るから」

今でこそ筋肉がだいぶつきましたが、当時は、小さいだけでなくガリガリで、当たられたらすぐ吹っ飛んでしまうような体でした。さらに早生まれだったこともあって、周りより、肉体面も精神面もひとまわり成長が遅く、全然うまく行かなかったのを覚えています。それでも、母親に言われた通り、この言葉を信じて誰よりもたくさん練習しました。そうすると、抜けなかった相手がかわせるようになったり、決まらなかったシュートが入るようになったりしました。僕のことを知っている人はきっと、僕のことを、自主練をずっとしているというイメージが強いと思うのですが、これはきっとこの言葉が自然と僕の中に身についているからだと思います。

2つ目はこの言葉です。

「いつか努力してもどう頑張っても勝てない相手がくる。その時あなたがどうするかが大事だよ。」

僕のサッカー人生を振り返ってみると、正直努力しても勝てないのではと思うことはたくさんありました。中学校の頃は、怪我で半分以上を休みました。最後の試合、関東大会の初戦、アントラーズつくばになすすべもなく、0−5で敗戦するチームを、僕はピッチに出ることなくベンチで見つめたまま引退しました。高校の頃はもっと壮絶でした。公式戦のない3軍と4軍を行ったり来たりで、やっと上がれた2軍でデビューできたのは、高3の夏が終わりかけている時でした。選手権の県決勝、浦和南に逆転負けを屈して僕たちの選手権は終わったのですが、僕に与えられた役割は、点をとってチームを引っ張るエースでもなく、はたまた途中から入って流れを変えるスーパーサブでもなく、応援団長として、スタンドで声を張り上げることでした。大学でも似たような感じで、2軍まで行くことはできたけどトップの壁を1度も破ることができずに4年間を終えました。トップの試合に出ることは叶わず、最後までスタンドで応援団長をしていました。2軍はよくトップチームと青白(筑波では紅白戦をつくば伝統のユニフォームの色にちなんで青白と呼びます)をするのですが、一度も点を取ることができませんでした。それが4年間の全てを物語っていると思います。悔しいけど完全に実力不足を認めざるを得ません。








こうして、立ち向かっては打ちのめされる、抗っては厳しい現実を突きつけられるばかりのサッカー人生でしたが、ある時、母親に言われていたこの言葉の答えを見つけることができました。



それがこのブログのタイトルである「継続は力なり」です。



この言葉は、小学校のチームの監督の沼尻コーチが、試合の予定表の一番下に毎回書いていた言葉です。沼尻コーチは継続して身につけた技術は必ず力になるという意味で書いていたのですが、この言葉は人生の全てに通じると思います。確かに、自分が今までしてきた努力は、自分が望んだ結果に繋がってくれませんでした。しかし、継続して積み上げてきたものは、確実に僕の力になっている、これは自信持って言えます。たくさんあった課題も、一つ一つ克服して乗り越えてきたから今があります。決して器用ではないから、すぐうまく行くことはほとんどないし、苦労することも多かったけど、時間がかかっても成長してこられたことは胸を張って言えます。
ローランドさんは、「才能がないのも一つの才能」と言っていました。この言葉を聞いた時、とても共感しました。才能がないからこそ、どうしたらうまくなるのだろうと人一倍考え、努力してきました。その過程が楽しく、一歩一歩、その一歩がたとえ小さくても、継続すれば確実に成長していく、そんな自分が嬉しくてここまでサッカーをやってこられたのだと思います。だから、この先いくら努力しても勝てない壁にぶつかっても、やることは変わらないです。今まで通り努力を継続し続けるのみです。それしか勝てる方法はない。結局答えは、特別な何かではなく、小学校の頃に言われ続け、日常に溢れていた言葉でした。そんなことに大学4年になった今、やっと気づくことが出来ました。

筑波ではさまざまな経験をできました。トップとの力の差を見せられた時、スタンドで応援することしか出来なかった時、ベンチで試合に出られなかった時、メンバー外で無力感を感じた時、カテゴリー落ちして絶望した時、そんないろいろな経験で、自分は才能ないって感じてきたけれど、だからこそ、才能がないからいいんじゃないかと思うことができるようになりました。筑波に来て本当によかったと胸を張って言えます。




僕の夢は、プロサッカー選手になること、これは小学校の頃と変わりません。しかし、なりたい理由はその頃とは違い明確にあります。ここまで順風満帆とは程遠い、うまく行かないことばっかりなサッカー人生を過ごしてきたからこそ、僕は多くのサッカー選手に勇気をもらってきました。たとえば、長友佑都選手は中学高校まで無名だったところから日本代表、そして現在の地位まで上り詰めました。藤本憲明選手は、大卒からプロに行けなくてもJFLからステップアップして天皇杯優勝に導きました。そんなシンデレラストーリーが、うまく行かずに諦めかけそうだった自分を勇気づけ、「俺だって」と思って歯を食いしばってくることができました。だからこそ、自分もそんな選手になりたい。中学・高校・大学でうまく行かなくたって、夢を諦めなければサッカー何が起こるかわからないことを証明したい。
これが僕の今の夢です。






人生は常に2択です。

「諦めるのか、それでもやるのか」

諦めるという選択をしたその先にもきっとまたこの2択が続いていて、この選択は延々にあるんだと思います。

僕は自分のサッカー人生に対して、もう少しだけ、「それでもやる」という選択を選んでみようと思います。
来シーズンは、中国リーグに所属する「ベルガロッソいわみ」でプレーします。僕のサッカー人生まだまだここからです。自分の夢を叶えるために、ここから這い上がっていけるよう頑張るので、こんな選手もいたなと頭の片隅に覚えておいてもらえると嬉しいです。



最後に、今まで関わってきくれた人たちに感謝を伝えないといけません。多くの指導者、先生方と出会いました。今の自分がいるのはその方達のおかげです。また、苦しい時も励ましあった友人たち。きついことも、一人では乗り越えられないけど仲間がいたから乗り越えてこられました。今振り返ると本当に出逢いに恵まれていたと実感しています。

そして一番感謝しないといけないのは家族、特に両親です。僕を客観的に分析すると、サッカーより勉強の方が、才能があったと思います。これは当時の僕は受け入れられなかったけど、今では、間違いなくそうだと思います。周りの大人たちは僕のためを思って、勉強で進む方がいいんじゃないとアドバイスしてくれました。それは普通に考えたら当たり前のことで本当にありがたかったです。それでも僕の両親だけは、僕がやりたいと言ったことを何ひとつ文句言わずにサポートしてくれました。家系の中でどこを探してもスポーツをやっている人はいないし、昌平にいくと言った時から正直戸惑いはあったと思うけど、いつでも僕の味方でいてくれました。僕がこうして心配することなくまだまだ挑戦できるのは両親のおかげです。面と向かって言うのは恥ずかしいけど、こう言う形で感謝を伝えさせてもらいます。

ありがとう。




長く拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後とも、筑波大学蹴球部へのご支援、ご声援のほどよろしくお願いします。
 


 



筑波大学蹴球部

体育専門学群4年

藤本未来


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