部活ガチ勢の皆さんへ
「なんでそんな犠牲払ってまで部活するんですか?」
時は2015年4月、サッカーに高校生活の全てを捧げていた高校1年生大嶋洸平は試合中の交錯による鎖骨骨折をした事でショックを受けていた。そして痛みから家で不機嫌なまま過ごしていた大嶋に母親は言った、
「サッカー頑張ってるんだろうけど、遊んでいるのと変わらないから」
皆さんこんな母親どうですか?w (誤解を避けたいので言っておきますが、私が部活に打ち込んだ中高6年間のほぼ毎朝午前4時台に起きて弁当を作ってくれるくらい最高でロックな母親です。)どうも、筑波大学蹴球部4年大嶋洸平と申します。サッカー人生ラストイヤーでブログの依頼が来たので、プロを目指していない部活ガチ勢の永遠の課題に対しての自分なりの解答を記していきたいと思います。
Q.「なんでそんな犠牲払ってまで部活するんですか?」
A.「感情」
Proof.
小学生の頃にスポーツドクターになるという夢を持ち始めた。逆に言えば10歳ころにはとっくにプロサッカー選手という夢はなくなっていた。にも関わらず自分は人生の多大な時間をサッカーに捧げてきた。はっきり言ってオカシイと思う。中学受験では夏までサッカーを続け、大学受験に至っては10月まで部活を続けきっちり失敗して浪人する羽目になっている。さらに言えば大学生活でも部活でMTが連発されて忙しくなった時は、ちゃんと再試(落ちると一発留年)になったこともある。スポーツドクター、つまりは医者になるという自分の夢の邪魔をサッカーはしてきたのだ。ではなぜ自分は18年半も毎日のようにボールをけり続けてきたのだろうか。
よくこの問いに対して「おもしろいから」という答えをしている人を見かける。厳しいかもしれないが「そんなんお前の世界が狭いだけだろ。サッカー以外他の事をまともにやった事がないから他の「おもしろい」事が分からないんじゃないの?」と思ってしまう自分がいる。世の大学生にはボランティアを本気でやったり、起業したり、海外インターンに行ってみたりむちゃくちゃ「おもしろい」事をしている大学生はいる。本当にサッカーに毎日を支配されて過ごす事が社会人になる前の最後の自由な時間の正しい使い方なのだろうか。「おもしろいから」と即答する人に限ってここまで考えておらず、なんとなくサッカーを高校までガチっていて大学でもやめられずに続けている人が多いと思う。さらに言うなら「チームワーク」「規律」「礼儀」といった事を大学部活で学んだという輩もいるが、そんな事を大学部活で学んだのなら高校までの部活での人間的成長が少なすぎると思う。本当に18年も必要だったの?母親の言う通りただ遊んでいたのと変わらないのではないか?
自分は浪人の1年間一切サッカーボールに触れていない。友達も作らずひたすら規則的な生活を続けて、ひたすら勉強した。振り返ってみてもとても濃く、とても有意義な時間になったと思う。自分がどういう時に力を発揮できるのか、力を積み上げるにはどう努力すればよいのか、ひたすら自分にベクトルを向ける事の意義など、浪人の期間で学んだ事はとんでもなく有意義だったと思う。そう、サッカーをやめていた期間が有意義な時間になったのだ。
ではなぜまた大学で週6サッカー生活(なんならMT等含めれば週7)をしているのか。
答えは至極シンプルだ。熱くなれるからである。そしてその熱さの積み重ねこそがサッカーを18年も続けてきた意義なのだ。
自分の足から放たれたパスがすっと味方の足元に収まる瞬間の喜び、自分の目の前の相手が放ったシュートがゴールの吸い込まれていく時の苛立ち、試合終了を知らせるホイッスルの音が聞こえた時の安堵感もしくは絶望感。そして自分が時間と労力をかければかえるほどその時の感情は大きくなる。頑張れば頑張るほど負けるのは悔しいし、勝つのは嬉しい。アホみたいな話だが自分がサッカーに人生を邪魔されれば邪魔されるほど、自分の中でかけがえのない「感情」が積み重なっていくのである。
上記のサッカーで学んだ事や感じた事は誰かのブログなどを読んだり、サッカー選手のドキュメントやSNSを通してみればわかる事だ。「チームワーク」の難しさと重要性なんて誰でも知っている。今日において情報なんてネット上に溢れているし、アクセスも簡単だ。では18年半サッカーに多大な犠牲を払って自分が学んだ「情報」と例えばこのブログを読んだ人が学んだ「情報」の何が違うのか。それはその「情報」に体験が付随している事であり、さらに言うならばそれにより自分の体験には「感情」が積み重なっている。人間がいざ行動を起こす時に「感情」が必要だと自分は思う。特に自分は怠惰な性格をしており、行動を起こす時にその「感情」の後押しがなければ何も行動を起こしていかないだろう。自分が将来職場でチームワークのために行動する事ができたとしたら、それは結果が出なくて雰囲気が一向に良くならないチームで感じた「もどかしさ」やそれを一つのミーティングで一気に変える事ができた時の「充実感」が自分の背中を押してくれたからであろう。
別にキャパが大きいわけでもない(寧ろ小さい)自分にとって勉学とサッカーの両立は大変である。でもだからこそ自分はサッカーをプレーすることで熱くなれるのだと思う。もちろん他の事に大学生活で「熱く」なっても良かったと思うし、蹴球部に所属したのが正解だとも別に思わない。ただあえて蹴球部に所属してこの3年半で積み重ねた経験と感情は自分にとってかけがえのないものである。残り数か月、最高の「感情」を積み重ねていきたい。
冒頭であげた問いに対する答えは以上になります。部活と本業で悩んでいるそこのあなた、その悩みですらもあなたが両立に挑戦しているからこそ生じる「感情」だと思います。最初からできないと決めつけている人には経験できないものだと思います。長くなりましたが、この文が読んで頂けた皆さんの助けに少しでもなれば幸いです。
筑波大学蹴球部
医学群医学類 4年
大嶋洸平