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2020

#60 ”かっこいい”の定義(加藤琉都)

はじめまして。

筑波大学体育専門学群4年、加藤琉都です。

部員ブログを執筆するにあたり、他の部員には書けないこと、私にしか書けないことを書こうと思いました。


残念ながら、思い浮かぶものは何もありませんでした。

しかし、一つだけ、私にしか書けないもの、いや、各個人で違う価値観を持つものであるならば、同じ内容になることはないと思いました。



私の尊敬する人と、

“かっこいい”の定義。



私の価値観(“かっこいい”の定義)の形成を通して、この拙い文章をお読みする方々が、今一度自分の価値観を振り返るきっかけになれば幸いです。


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その人物との出会いは、僕が中学2年生の冬の寒い時期だった。



よく通っていた鍼灸整骨院に一枚のパンフレットがあった。

そこで目についた言葉は“パーソナルトレーニング”。

自分の身体能力の低さを感じていた僕には、そのパンフレットが光り輝いて見えた。

「ここに行けば何か変わるかもしれない。」




自宅から30分ほど車を走らせて着いたのは、“Athlete Village浜松”。

ガラス張りの建物で、中の様子が外から丸見えである。

駐車場から中を覗くと、早く降りてこいと言わんばかりにこちらを覗き返している男がいた。

一瞬身が縮こまるも、地面に足を下ろし、平静を装って玄関口まで向かった。

「緊張するなぁ。大丈夫かなぁ。」




自動ドアの前で僕を待っている男は、さらに僕の身体にストレスをかけてきた。

耳をつんざくような挨拶とともに、いきなり手を握ってきたのだ。

初対面の人と握手をしたのは彼が初めてで、かなりのインパクトがあった。

身長はさほど変わらないのに、彼は僕よりひとまわりもふたまわりも大きく見えた。

「今まで出会ったことないタイプの人だ。」




初回は目標設定のためのヒアリングのようなもので、今後の方向性を話し合った。

2回目からトレーニングを始めていった。

彼は僕の動作テストをし、課題をピックアップした。

僕にもわかるように映像を撮り、自分の動きを客観的に捉えられるようにしてくれた。

「これから頑張っていけば、きっと結果が出る!」




トレーニングを重ね、徐々にレベルアップしていた10数回目の来村日のことである。

荷物を置き、靴紐を縛ろうとしていた僕に、村長が声をかける。

『外、歩きに行こう。』

え、なんで?と思ったが、答えは自分の心に聞けばすぐわかった。

モチベーションが低い。

やる気が出てこない。

村長に完全に見透かされていたのだ。

その頃の僕は、なかなかサッカーで良いプレーができず、Villageでも身体の使い方が上達している感覚がなかった。

そんな自信の無い僕に気づき、外に連れ出してくれた。

歩きながら、他愛もない話をしながら、サッカーの話をした。

身体だけでなく、心にも、常に近くで寄り添ってくれた。

「村長には安心して何でも打ち明けられる。頼もしい。」




それ以降は毎週、楽しみで楽しみで仕方なかった。

1時間トレーニングをするだけなのに、Villageに行くことが本当に楽しかった。

僕がそこまで楽しめたのは、“Athlete Village浜松”という空間が、僕にとてつもなく巨大なエネルギーを吹き込んでくれるからだ。

「こんな環境に身を置けて、本当に幸せだ。」




車を走らせると、周りは春模様、桜の花がそっと顔を出し始めた。

僕は中学校を卒業し、家から少し遠くにある高校に進学する予定である。

Villageもこのタイミングで卒業することになった。

「卒業するのは寂しいけど、新天地で奮闘することを髙木先生にしっかり伝えよう。」




卒業日は、髙木先生と今後の、将来の話をした。

新天地で活躍することや感謝していることをしっかり伝えることができた。

そして、今まで聞きたかったことを聞くことができた。


『なんで、Athlete Villageをやろうと思ったんですか?』


この質問が、髙木先生の答えが、僕の人生観を作ったといっても過言ではない。




『今まで、人の痛みを取り除く仕事をやってきた。

それは本当に素晴らしいこと。

だけど、その人たちがまた痛みを抱えて整骨院に足を運んでくる。

俺は、痛みを取り除いたその先、また痛みが出ないようにする、そこまでサポートしたいって思うようになった。

整骨院に足を運ぶ人にとっての幸せな状態って、痛みがないこと、つまり整骨院に来なくていいようになることだろ?

それを実現するためにここを作った。』



僕は確信した。


髙木先生、この人以上にかっこいい人はいない。


自分も髙木先生のようにかっこよくなりたい。


「この人こそが、自分がなりたい、かっこいい姿だ。」


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以上、物語風に、私と私が尊敬する髙木慎一さんについて書かせていただきました。

※一部フィクションが混ざっておりますが、私の心の変化は物語の通りです。



“かっこいい”と感じるものには、必ず個人差があります。

有名人を例に挙げると、ある人にはかっこよく見える俳優さんでも、またある人にはかっこよく見えないかもしれません。

“かっこいい”という言葉は、各個人の価値観に依存している言葉です。

また、“かっこいい”という言葉は、基本的に好印象を持つ対象に向けた言葉でもあります。

そのため、どんなものに“かっこいい”と感じるかで、その人の性格の志向性がわかると個人的には思っています。

男性は誰でも“かっこよく”いたいと思っていると思います。

“ダサい”と言われたい人はごくわずかではないでしょうか。

人がかっこよくいるためには、方法は一つしかありません。


「“かっこいい”の定義をし、それに合う行動を取る。」


参考までに、私の“かっこいい”の定義を乗せておきます。


「実現したい理想の状態を、圧倒的な熱量で追い求めている」






筑波大学蹴球部
体育専門学群4年
 加藤琉都


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