2018シーズン、筑波大学蹴球部の主将を務めます、小笠原佳祐です。
しかし、今回の記事では主将としてではなく、一蹴球部員として文章を書きます。
かと言って、僕自身、面白い人間でもないし、
読んで下さっている方々のご期待に応えられるような文章力も持ち合わせていません。
なので、今回は自己紹介を主に、どのように21年間を過ごしてきたかについて皆さんにお話しできればなと思います。
本当に自分の中にあるものを形にする作業の一環だと認識しているので、
正直、つまらない文章です。
でも、その中に、1つでも皆さんのお役に立てるものがあれば幸いです。
僕は山口県のド田舎で小学3年生の時に兄の影響でサッカーを本格的に始めました。
地元の30人程度のサッカー少年団に入部し、
その時間だけでなく、中間休みも昼休みもひたすらサッカーをしていた記憶があります。
少年サッカーの活動自体は月曜日、水曜日、金曜日、土日のいずれかで週4日、
それに加えて、火曜日は近所の習字教室へ、月曜日と木曜日は公文教室へ算数を習いに通っていました。
こう見ると、サッカーも習い事もパンパンで頑張っているように見えるかもしれません。
しかし、そうではないのです。
これぐらい1週間何かで僕を縛っておかないと何をしでかすかわからないような、ヤンチャと呼ばれるような子どもであり、両親がうまく自分の意志でその習い事をするように導いてくれたのではないかと思います。
結果論ですが、両親のこの処置には感謝することが今までに多々ありました。
現在、小学生のヤンチャなお子さんを育てていらっしゃる親御さんには、この育児法を進めます(笑)
さて、次に中学時代ですが、地元の公立中学校に進学し、20人程度のサッカー部に入部します。
しかし、入部して1年もたたないうちに廃部となります。
13歳でサッカーをする環境がなくなるかもしれないという経験は非常に貴重だったかなと感じます。
紆余曲折あり、レオーネ山口(現レノファ山口FC)というクラブにお世話になることになりました。
ここで本格的に「サッカー」というスポーツを学んだというのが正しい表現になるかと思います。
同じ学年のメンバーは15人程度で、いま振り返ってみても、
よくあのメンバー(小さい、へたくそ)で戦っていたなという印象です。
でも、そのメンバーでバカみたいに試合して、バカみたいに走って、バカみたいに笑った中学時代は僕を少しずつサッカーの世界に引っ張り込んでくれました。
当初は本気でサッカーすることをやめ、県内の進学校に進学し、
勉強しながらもサッカーを続ければいいなぐらいの気持ちで考えていました。
しかし、僕の中のヤンチャな部分が、サッカーでもうちょっと頑張ってみたいと名乗り出てきて、気づいたら、東福岡高校の門を叩いていました。
ここからは、高校時代のお話です。
ここまで触れてきていませんが、僕が担当していたポジションはFWと呼ばれる、簡単に言えばゴールを獲る仕事をします。
東福岡の部員は300人ぐらい所属していたため、単純にポジション(11人)で割っても25人ぐらいが各ポジションにいることになります。
頭がおかしいですね。
入部した当初はわけがわかりませんでした。
経緯は割愛させていただきますが、それから高校2年生の冬に現在のポジションであるDFへとコンバートした(してしまった)ので、
数えてみると、まだ5年目のペーペーの選手です。
小学生で始めたときから数えれば、中学1年生にあたる歳ですね。
まだまだです。
高校時代は僕が頑張ったかどうかはとりあえず置いておいて、
とにかく精神的にも肉体的にも厳しかった。
中学校の時にたくさん走らせていただいたので、高校は走りのメニューがあったとしても、ついていけるだろうなとなめていたのですが、
高校のときもたくさん、いっぱい、どんどん走らせていただきました。
どの表現が正しいのか僕の語彙力では表しきれません。
しかし、自分で選んだ道なので、やるしかないという感じでした。
それからはインターハイのピッチに立っていたら、
チームのメンバーが優勝させてくれて、
筑波大学に進学してからも、インカレや関東大学サッカーリーグなど、
チームのメンバーが勝たせてくれたという風に個人的には思っています。
ざっくりと振り返ってみると、このような感じです。
また、僕が所属してきたチームは全5チームですが、
そのうちの小学校時に所属していたサッカー少年団は廃部となり、
中学校の部活も廃部、
レオーネ山口という名前も残っていないので、
3チームがもう存在していないのです。
何がいいたいかと言うと、ここまでの僕の人生はただただ「運」が良いのです。
あ、こいつ逃げたな、と思った人もいるでしょう。
そんなこと、誰のためにも役立たない情報ではないかと言われても仕方がありません。
でも、誰が何と言おうと僕のサッカー人生には確実に「運」が作用しています。
運なしでは300人の中でサッカーをしたり、
筑波大学という名門と呼ばれる大学でサッカーを続けてられていたりできません。
僕のサッカー運が尽きたところが、
僕のサッカーの辞め時かなと今のところ考えています。
でもそれはサッカーの運であり、大きな括りで考えれば、ただのサッカーの運に過ぎないと僕は考えています。
またそのときは、違った僕自身を動かしてくれる何かが、どこかへ運んでくれるのではないでしょうか。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
最後にはなりますが、筑波大学蹴球部を今年も何卒宜しくお願い致します。
筑波大学蹴球部3年
2018シーズン主将 小笠原佳祐(東福岡高校出身)