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2024

#172 憧れの蹴球部 (小塚天翔/4年)

こんにちは。
日頃より筑波大学蹴球部への多大なるご支援、ご声援を頂き、誠にありがとうございます。

筑波大学体育専門学群4年の小塚天翔(こつかたかと)と申します。
今シーズンはBチームのキャプテンと、少年サッカー活動等を総括する普及チームの長として主に活動してきました。

僕のことを知らない人がほとんどだと思いますので、簡単に自己紹介すると

茨城県つくば市出身。
趣味はスポーツ観戦。
身長は171.2cm(朝計測)、体重は68.2kg
桜南ファイターズ(つくば市)→つくばFCジュニアユース→水戸ホーリーホックユース→つくばFCネクスト(浪人期)を経て、筑波大学蹴球部に入部しました。
お気づきの方もいるように、一度も茨城県内から出ていない根っからの茨城っ子です。
サッカー一筋で茨城県にのみ生息してきたことで、かなり狭いコミュニティで生きてきました。
しかしその反面、茨城県やつくば市の良いところ(悪いところも)を多く感じ取ってきました。


そんな僕ですがこの部員ブログが大好きで、部員ブログを読むことでサッカーのモチベーションを上げたこともあれば、大げさではなく生きる活力をもらったこともありました。
そして、この間入部できたと思ったらもう引退が目の前に迫っていて、部員ブログを書く側にもなったので、自分になりに書けることを頑張って書いてみたいと思います。

長くなりましたが、温かい目で最後まで読んでいただけると幸いです。
では。










自分がサッカーを始めてからもう16年になる。
桜南ファイターズという自分の通っていた小学校にあるごく普通のサッカー少年団。
人数も1学年10人前後で、大会に出て優勝すれば大喜び。
本当にごく普通の少年団。
少し普通でないところがあるとすれば、コーチが大学生だった。
筑波大学のお兄ちゃんたちが毎週、車で乗り合わせてサッカーを教えにきてくれた。
優しくて、元気で、面白いお兄ちゃん、お姉ちゃんって感じのコーチ達。
そんな人たちとニコニコしながらサッカーするのは楽しかったし、どんどんサッカーというものの魅力にはまっていった。
これが、僕と筑波大学蹴球部の初めての出会いだった。

体験初日のことはもう親に10回は聞かされて覚えている気になっているが、
「一緒にやる?」と誘われても「嫌だ嫌だ」とぐずり、しまいには横を通りかかった友達とどこかに行ってしまったそうだ。
現在、巡り巡って僕は同じ少年団で「一緒にやる?」と誘う側の立場になっているが、たまにこういう子を見かけると「自分もこうだったんだなぁ」と少し懐かしい気分になる。




僕が筑波大学第一サッカー場に最初に足を運んだのも、16年前のこと。
まだサッカーを始めて間もないが、コーチの紹介で試合を見に行った。
プレーのことは全く覚えていないが、そこにいた記憶だけはずっとある。
それは、そこで撮った一枚の写真がずっと机の見えるところに挟まれていたことが理由だった。
その写真は、当時の筑波大学蹴球部でFWをしていた木島悠選手と、僕と、一緒に見に行っていた友達の3ショット。
木島選手は清水エスパルスに内定していたから、初めて目の前で見たJリーガーだったかもしれない。
その時にかぶっていた帽子にサインをしてもらったのも覚えている。
当時まだサッカーを始めたばかりだった少年からしたら、大きくて、プロに決まっている人だなんて聞いたらスーパースターに見えたことに違いない。
そんな素晴らしい瞬間が、自分の1グラでの最初だった。

そんなこんなで蹴球部と出会い、僕は徐々に筑波大学蹴球部のファンになっていった。


2008年度インカレの決勝。中央大学との試合もバスツアー(蹴球部主催の応援イベント)で応援しに行った。
負けはしたものの、坊主の永芳卓磨という選手がいて、その選手の応援歌と情熱的なプレーが好きだった。

バスツアーは年に1.2回開催されていて、大体参加していた。
2011年のバスツアーではエスコートキッズに参加できて、当時自分のチームのコーチだった谷口彰悟さんと手をつないで入場したことは今となっては自慢である。
バスツアーは、大学生が企画を一生懸命考えてくれて、バス内もバス外も飽きないようなイベントが盛りだくさんで、これまた楽しかった。

2011年からは、当時筑波大学蹴球部の監督をしていた風間八宏さんが監修していたトラウムトレーニングというサッカースクールに入り、サッカーを習った。
そのスクールは、幼稚園児から大学生まで一緒にサッカーをするという異空間で、まさにサッカーに年齢は関係ないという言葉を体現している場所だった。
その時、毎回補助プレーヤーとして蹴球部のTOPチームの選手が来てくれていて、現在プロで活躍しているような選手たちと小学生から一緒にプレーが出来た。
そのスクールでも、印象に残っている選手がいる。
今はアルビレックス新潟でプレーしている早川史哉選手。
練習前によく股抜きをして遊んでくれたし、本当に優しかった。


他にも、
他の少年団のコーチにかわいがってもらったり、
鹿島スタジアムに鹿島アントラーズとの天皇杯を見に行ったり、
雙峰祭(筑波大の文化祭)でずっと蹴球部の出店ブースに居座り続けたりした。
蹴球部に関わった小学校時代の思い出は他にもあるが、思い返せば思い返すほど蹴球部に染まっていた小学校時代だったなと思う。


これらの経験から言うまでもなく、筑波大学蹴球部に憧れていたし、
「自分も筑波大学蹴球部に入りたいな」と思っていた。





そしてそこから時がたって、
多くの苦労を経験しながら、自分も蹴球部の一員になった。

今までは、1ファンとして外から見ていたチーム。
今度はその組織を作り上げる一員になった。

久しぶりに見る桐の葉のエンブレム。
蹴球部員という、大学生。
そして、1グラ。

「ここで毎日サッカーできるのか。」

純粋に、ワクワクした。


ここに来たからには、自分の目標は決まっている。
「TOPチームのユニフォームを着て試合で活躍する。」

あの時、スタンドから応援歌を歌い、憧れていたその姿に自分を重ねたい。
今のつくば市の子供達の憧れとなりたい。
そして、その先にはプロになれるチャンスがある。

そう自分を奮い立たせ、蹴球部生活をスタートさせた。




そこからもうあっという間に4年が経って、自分はもう引退を目前にしている。
長いようであっという間に過ぎていった4年間。
中学や高校の3年間よりも早く感じた。

自分が勝たせて喜んだ試合もあれば、ベンチにも入れず悔しかった試合もある。
仲間の試合に喜怒哀楽の感情が爆発したこともあった。
一日一日は濃かったけど、4年間で振り返ったらあっという間だった。

4年間もチャンスは転がっていたが、結果として目標としていたものは掴み取れなかった。
「もっとやれることはあっただろ」という想いはある。

1.2年生の時に持っていた野望もだんだん日がたつごとに現実に潰され、多くの部員ブログで書かれていたことと同様に、どこかで諦めてしまっていたのだと思う。

その日の目標も考えず、惰性で練習に行く日もあった。
今日は練習したくないなと思う日もあった。
もちろん、練習が始まってから手を抜くことなんてないし、試合で負けてもいいなんて思ったことは一回もない。

だけど、目的意識を持たないと、積み重ならない。
それをこれまでのサッカー人生で学んだはずなのに、積み重ねられなかった。

上手い、強い、速い。
大学生となって感じる、「本当の」筑波大学蹴球部は、自分が小学生の頃に感じていたよりもレベルが高く、意識が高く、大学サッカーを牽引するという使命に貪欲だった。





でも、この蹴球部に来て目標を達成できなかった “だけ” で終わりを迎えそうなわけではない。

むしろ僕が小学校の時に見ていた物は、蹴球部のほんの一部分だったということに気づけた。

TOPチームが試合をして、勝っている姿。
少年達にニコニコしながらサッカーを教える姿。
こんな小学校の時に見えていた景色は、まだまだ蹴球部のほんの一部の魅力だけだったことに、内側に来て気付いた。


蹴球部には、TOPチームではない部員が170人いる。
その部員たちが、試合に出られないからといって不貞腐れているわけではない。
むしろ、TOPチームに負けないくらいに輝いている。
スポットは当たっていないかもしれない。
でも確実に、内側では輝いている。

それを、蹴球部に入って目の当たりにした。

今年の試合にかける蹴球部の熱量は大学サッカーで一番だろう。
プロクラブにも匹敵する。

● 試合で100%以上のプレーを出すプレーヤー
● 細かく調べ上げれた情報をもとに、試合を勝たせることに全力を注ぐスタッフ陣
● 声で、選手も会場も鼓舞する応援部員
● ボールボーイ等の運営に回る部員
● 来場されたのお客さんのことを考えて企画の準備をし、実行する部員
● 試合後もYouTube等で試合の様子を発信する部員
などなど

1つの試合で、全員に役割がある。

小学校の僕が見ていたのは、
「試合で100%以上のプレーを出すプレーヤー」
だけだったかもしれない。


でも内側に入って見えた蹴球部はそこだけに魅力は終わらなかった。

多くの部員がTOP チームを目指して、ギラギラしていた。
サッカー以外でも毎日見えないところで蹴球部を良くしようと誰かが頑張っていた。
与えてもらうだけでなく、与えることを忘れなかった。
誰かの成功を自分事のように喜べる、カッコいい人が集まっていた。

そして何よりも、出身など関係なく、みんな蹴球部に憧れをもって入部し、蹴球部が大好きだった。

そんな蹴球部員の蹴球部への愛情が
何か形となり、魅力となって、蹴球部の内側でも外側でも輝いていた。






確かに自分はTOPチームで活躍する選手にはなれなかったし、色々なことを犠牲にして苦しいことの方が多い4年間だった。
サッカーを中心に添えることを選んだ大学生活に対して、「他の大学生活だったら」とたらればを嘆いたことも当然ある。


でも引退を間近にして、
「蹴球部に入って本当に良かった」
と心からそう思っている。

これは自分の大学生活を肯定したいがための無理やりな感情なんかじゃない。


ここにいなければ、尊敬できる同期や先輩後輩、指導者との出会いはなかった。
ここにいなければ、少年達や保護者さんなどいろいろな方と出会うことはなかった。
ここにいなければ、刺激的で感情的な心の動く週末は味わえなかった。
ここにいなければ、、、


ここにいなければ、見られなかったものはたくさんある。

自分にはここが合っていた。
この選択をしてよかった。
小学生の自分にも、自信をもって「蹴球部に行くべきだ」と言う。

この4年間で、
“自分が小学校時代に憧れた組織は、誇れる組織に変わった”



だからこそ、蹴球部が日本一になる姿を、部員として見にいきたいと心から思っている。






ここで最後に、自分がこれから蹴球部で成し遂げたい夢を二つ書いて、このブログを終えたい。


1つは、インカレでの優勝。
選手としてではないかもしれないが、4年間の集大成である。
共に切磋琢磨し、尊敬できる部員たちとだからこそ本気で優勝したい。
そのためだったら何でもする覚悟だ。
今年のチームでスローガンである「共頂」のもと、応援してくれる全ての蹴球部を愛する人と共に、大学サッカーの頂をとりたい。



2つ目は、少年サッカー。
自分は、ここつくば市で育った。
蹴球部に憧れ、ここでサッカーをしたいと思い、実現した。
10年前に僕に関わってくれた蹴球部員の皆さんには、感謝してもしきれない。

実は僕の桜南ファイターズ時代のコーチも、桜南ファイターズ出身の筑波大生である。
このサイクルが当たり前となり、つくばでサッカーをする少年達が
「俺も蹴球部でサッカーしたいな!」と思ってくれるような蹴球部を作り上げたい。

そのために、僕たち蹴球部員は少年達に夢を与えなくてはならないし、
東京教育大学時代から続く100年以上のサッカー普及活動のバトンを繋いでいかなければならない。

今年の普及チームのテーマは
10年後に蹴球部を選んでもらえるように

今の少年達へのメッセージも込めたテーマにしている。
10年後に入部してくれる少年達が一人でもいてくれたら、自分がやってきたことは1つ報われたといえるのかもしれない。



そんな大きな二つの夢が叶うと信じて、また明日から頑張ろうと思う。







長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
今シーズンも残り2か月となりましたが、最後まで変わらぬご声援の程宜しくお願い致します。




p.s.
これまで指導してくださった指導者の皆様、一緒にサッカーしてくれた仲間達、「頑張れ」と言ってくれた友達、そして何不自由なくサッカーさせてくれた家族。
本当にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

筑波大学蹴球部 

体育専門学群 4年

小塚天翔


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