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2021

#98 筑波の忠誠心 (伊藤哲也/4年)



新年あけましておめでとうございます。

筑波大学体育専門学群4年の伊藤哲矢です。




2020年は例年とは大きく異なる様相を見せることになりました。


ただ、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中にあっても、大会運営に奔走してくださった皆様、活動する場を与えてくださった大学関係者の方々など、多くの皆様のおかげで弊部が参加する大会・試合が成立しました。


また、これまでと変わらぬご支援を賜りましたパートナー企業やパウロメイト加盟店舗、ファンクラブ会員の皆様など、応援してくださる皆様の存在を改めて強く実感する年でもありました。


この場をお借りして、弊部に関わる全ての皆様に厚く御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。








「自己紹介させていただきます。愛知県立豊橋南高等学校出身、体育専門学群1年、伊藤哲矢です。高校時代は、陸上競技部で長距離をやっていました。先輩には、内藤さんがいらっしゃいます。どうぞよろしくお願いします。」



上記した文章は、新入生歓迎会で僕が述べた自己紹介の言葉です。


中学まではサッカーをやっていましたが、高校ではサッカー部ではなく陸上競技部に所属して、長い距離をひたすら毎日走っていました。




サッカーをやめた主な理由は、サッカーのことを考えるだけで身体に何かしらの症状(頭痛等)が出る、というようにサッカーが原因で精神的に参り、身体症状として現れ、私生活に悪影響を及ぼすようになってしまったことです。


これまで、楽しみや喜びといった感情の源だったサッカーが、苦しみや痛みの源になり、僕の中心にあったはずのものが中心に置けなくなってしまった。


これはおそらくよくある話で、未熟だった自分に対する良い経験だったと今では考えられるくらいになっていますが、当時は悩んで泣いて悩んで泣いてぼろぼろになっていました。


そして、最終的には「サッカーをやめる」という決断に至りました。




その後、高校に入学し、先述したように陸上競技部に入部しました。


高校の陸上競技部での生活は、とても楽しかったし、充実したものでした。


ただ、「なんでボールを蹴っていないのだろう。」という気持ちは、ずっと感じていました。



陸上競技部を引退した後、大学でも続けたいという気持ちはありませんでした。

一方で、サッカーに対するもやもやした気持ちは未だ残っていました。


今思えば、この気持ちと3年間という時間が、僕の「もう一度サッカーがやりたい。」という想いを生み出し、筑波大学への合格が蹴球部の門戸を叩くきっかけになったのだと思います。





「快か不快なら不快を選べ。」


ある人が言っていた言葉で、僕の行動指針の1つです。


人間の成長は、満ち足りている(=快)時には訪れません。


嫌だな、やりたくないな、逃げ出したいなと感じる(=不快)時が、成長できるチャンスになります。


そしてその1つ1つのチャンスに対する取り組み方がその人の成長度合いを決定づけ、その積み重ねがその人自身の人としての生き方、他者からの信頼性等を形作っていくのだろうと思います。




自分が蹴球部に入部する際に以下の文章を誓いとして記していました。(中略等あり)


「人が嫌がることをする。

ピッチ内では相手の弱点を突いて、徹底的に嫌がられる選手になる。

そして、筑波の勝利に貢献する。

ピッチ外ではみんながやりたがらないこと(掃除など雑務)に率先して取り組む。

そして、筑波のみんなに貢献する。」




ピッチ内の部分に関しては、全く貢献できませんでした。


4年間で公式戦に出た回数はたぶん両手にも満たないくらいです。


1グラ(蹴球部のホームグラウンド)で公式戦に出ることもかないませんでした。


本当に悔しかったし、情けない限りでした。




銀河のブログにもあったように、

「#76 底辺 (川崎銀河/4年)」

https://www.tsukubashukyu.com/blog/detail/id/18519



『自分なりに努力しているつもり、けど周りを見ればその何倍も努力している奴らがいる。

それに気づいても変われなかった。

変わっていたとしてもそれでも足りなかった。』

これが自分にも当てはまるし、これに尽きます。



ピッチ外の部分に関しては、多少は貢献できていたと感じています。


プロモーションチームやプロジェクトチームなど、有志での活動には積極的に参加してきました。


ただ「やりたがらないこと」に対して果敢に取り組むことができたかと言われれば、それほどではなかったと思います。


加えて、僕自身の副務としての役割自体にも疑問を抱え、どうあるべきなのかずっと迷っていました。





そんな中で、3年時に在籍していたチームの仲間から、チームでの役割や愛称としてこんなニックネームをもらいました。




“筑波の忠誠心”




これは、「チームのために行動していて、その姿が蹴球部員の見本のようなものだから。」という理由であったと記憶しています。


僕の行動を評価してくれた、仲間から認めてもらえたような気がして本当に嬉しかったです。


その反面、これは自分ではないとも感じてもいました。


僕は何より重視すべきピッチ上で全く貢献できていない。

副務としてなにも部のために行動できていない。


僕よりも部に貢献している人はたくさんいる。


真っ先に思い浮かんだのは同期の仲間たちでした。


ピッチ内外問わず、様々な分野でマルチに部に貢献している部員はたくさんいる。




と感じていた僕に、ある人がこう言ってくださいました。


「お前だからだろ。比べること自体おかしいだろ?言葉の通り受け取っておけよ。」


その時から、少しだけ考え方を変えることができました。




大事なことは、「自分がどう捉えるか」だと思います。


少しばかり理不尽な要求も、自分が成長するためだと思えば乗り越えられる。


精神的に追い詰められた経験も、違う競技を経験したことも、生かすも殺すも自分次第であること。


今、もしくはこの先の未来のどこかで必ず繋がる部分があること。




中学生で精神的にどん底を経験したことも、高校時代に別の道を歩んだことも、蹴球部で劣等感に苛まれながら活動し続けたことも、全部僕自身に蓄積されている。

そしておそらく、それが今の、明日の自分になっていく。



だから、自分が思う自分も他者から受け取る自分も、全部自分だと認めて、

今後も自分らしく生きていければと思います。




最後になりましたが、部員ブログを執筆させていただく機会をいただきました、

同期の零太に改めて感謝申し上げます。ありがとう。


また、自分に関わる全ての皆様に、感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。



上手に文としてまとめられず、読みにくい文章で申し訳ないです。

拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。


今後も筑波大学蹴球部をよろしくお願いいたします。






筑波大学蹴球部 副務

体育専門学群4年

伊藤哲矢




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