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2023

#163 当たり前からの脱却(高山優/新3年・副務)

はじめまして。今回部員ブログを担当させていただきます、筑波大学蹴球部新3年、高山優と申します。よろしくお願いします。

始めに、簡単な自己紹介をさせていただきます。私は幼稚園からサッカーを始め、小学校・中学校は地元の一番近い学校で、少年団や部活ではなく、クラブチームの福岡BUDDY.FCで小学1年生から中学3年生までの9年間を過ごし、高校は筑紫丘高校に入学し、部活でサッカーをしていました。生まれも育ちも福岡、そのような私が一般入試を経て、筑波大学に入学し、蹴球部に入部しました。

ブログを書くこと自体、初めての試みですので、拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。




と当たり障りのないブログの冒頭を書いたところで内容に移ります。





あなたは、自分自身の行動や判断、思考を行う中で、何か大事にしている考え方はありますか。




このブログの読者には、様々な年齢の方がいらっしゃると思いますが、年齢が上がるにつれて、様々な経験を基に出来るため、問いへの関心や回答の信頼性は高くなると考えます。今回、私なりの回答を書いてみますので是非参考にしてもらえると幸いです。



正直なところ、私は大学に入って様々な経験をするまでは、なんとなく生きていました。
自分が貫きたい信念もなく、日々起こりうる出来事の中で、なんとなく行動、決断をしていました。その時の自分の気分や考え方を基に。今までの行動や決断に誤りがあった訳ではないですが、もし過去に戻れるとしたなら、もっと考えることが出来ただろって私自身思います。「なんとなく」って便利な言葉ですね。







「トライ&エラーの繰り返し」

「当たり前を疑う」


これが今の私が考える上記の問いの答えです。

まずは「トライ&エラーの繰り返し」から。
この考え方は、日々の小さな選択から新しいことにチャレンジするときの選択まで、幅広く効く考え方です。主に新しいことにチャレンジするときに絶大な信頼を置いています。

ここではトライとエラーはセット捉えることが大事です。トライしっぱなしではそのときの満足感は得られるかもしれないですが、その結果から学ぼうとしなくては、体験にはなっても、経験には及びません。また、「エラー」に関して、エラーとは知識がないゆえに起こる誤り、失敗だと考えます。その誤りはトライすることでようやく明るみに出ます。そのエラーを起こさないように知識をつけ、やり方を変え、またトライする。また新たなエラーが出てくる。そうやって人は学び、成長していくものだと私は考えています。だから「トライ&エラーの繰り返し」です。

実体験として、サッカーの場面においての経験が挙げられます。
自分が蹴球部内で1つ上のチームに所属することになったときに、まず守備の面で違いを感じました。今までかけてきたプレスでは、相手に何もプレッシャーがかかっていないと自覚し、当然、指摘もされました。その際、突破されてもいいから(本当はだめですが)、いつもより、もう1歩、2歩相手に寄せることを意識して行うと、もちろん突破されることも少し増えましたが、初めよりも相手にプレッシャーを与えられるようになりました。ここから、「いつもより寄せたところで、突破されたら元も子もない」という考えには皆辿り着くと思います。だから、次は「寄せるだけじゃなく、突破もさせない、守備」をイメージして取り組むのです。そこから先は、「取りきる守備」など新たな課題が出てくるわけです。
トライしなければ、新たな課題すらも出ずに、そこまでのプレーヤー、人間になってしまうのです。

サッカーをあまり知らない人からすると上手く伝わらないかもしれないですが、これを始めとする多くの実体験から「トライ&エラーの繰り返し」という考えを作り上げました。


小井土先生は「現状維持は衰退」という言葉を部員にかけてくださいます。
この言葉の意味を「トライをし続けろ」「成長、向上を常に図れ」と捉えると、蹴球部員的には分かりやすいかなと思います。




人は現状を維持しようと望むだけでは衰退してしまう。



だからトライを。そしてその連続を。





次に「当たり前を疑う」ことです。
この考え方について、「あ、哲学だな、読むのやめよ」と感じた人にこそ、是非読んでもらいたいです。実際自分も、ある体育専門学群の授業で、この考え方を積極的に用いるまでは、「当たり前を疑うなんて、哲学やん。自分からは遠いものだ」と本気で思っていました。なんなら嫌いでした。

この「当たり前を疑う」とは非常に難しいことです。今まで自分の信じてきたこと、何気なく過ごしていた日常、習慣等、自分の中の「当たり前」は他人には全く通用しないかもしれない、と捉えようとすることはちょっと怖いことです。また「当たり前を疑う」ことは、自己破壊でもあります。自分の中の「常識、当たり前、偏見」という考えを一度全部破壊します。自己を破壊し、新しい価値観、未知なる考え方、常識、当たり前に出会うのです。

私の自身の話をすると、新しい物事や考え方に出会い、学びを得られた時の感覚が自分にとっては、成長を感じる瞬間でした。「きっとあなたもそうであるはずです。」と言いたいところですが、、、



危なかったです。矛盾するところでした。



フラットな目線で物事を見る。そして他人の目線になって考える。それも自分とは全く性格も立場も違う人の目線から。人は知らぬ間に自分の常識を作り上げながら成長してしまう。「慣れ」もその類だ。



私自身の経験として、高校時代の部活動で“当たり前”を押し付けてしまっていた過去があります。高校の部活に入る目的、部活動で得たい経験は人それぞれです。プロを目指して入る人が多い強豪校でもバラバラであるのに、まして、大学でもサッカーを続ける人が少ない進学校なら尚更バラバラです。私の学校はいわゆる進学校でした。

目的に優劣なんて存在しません。ですが、当時の自分は、勝利を目指して、苦しい練習も、つらい経験も行うことこそが正解だ。強くなるために練習することがまるで正しいことかのように振る舞っていました。強さを追い求めることが美学であり、人間形成もその過程で進められると。


今考えれば、自分の価値観は狭い世界でしか通用しないなと思います。実際に一度、皆が入部した目的を語り合う機会を作ることもできたかなと思います。それでも付いてきてくれたチームメイトには感謝してもしきれません。


自分もこのたった20年間の中で、知らぬ間に“当たり前”を作り上げてしまっていたのです。
社会に出て、自分が小さな人間だったのだと気付く前に、自分の当たり前は全く通用しないのだと気付く前に、覚悟をもって学生時代を過ごせることは有難いことだと感じました。



この2つの考え方を1つにまとめることが出来なかったので2つに分けたのですが、書いていくうちにまとまりそうな気がしてきました。


「当たり前を疑わないことは、現状維持である」のではないか。と。

ここで問いの回答の説明は締めておきます。


ここからは蹴球部に向けたメッセージです。


行動、思考においてもトライ&エラーの繰り返しが、人に“何か”を与えてくれる。それは紛れもない事実だ。“何か”とは自分自身が意味付けするものだと思う。




失敗してもいい。意味のあるトライにするためには、その過程と根拠が重要だからだ。



他人から見て意味の分からないトライでもいい、理解されないトライでもいい。

自分の中に意味があれば。






トライし続けることで、出る杭になれ。



そして“筑波大学蹴球部”だけは、出る杭を打たず、励ます組織へ。






さいごに。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。少しでも自分の思いや考えが伝わっていたら幸いです。


書き忘れていましたが、2023シーズン、筑波大学蹴球部の副務を務めさせていただきます。
未熟者なりにトライしている段階です。どうぞよろしくお願いします。


そしてこれからも筑波大学蹴球部へのご声援をよろしくお願いします。



筑波大学蹴球部

体育専門学群 新3年

2023シーズン副務 高山優


WRITER:高山優
コメント
名前

内容


タク
2024-03-24 14:00:47

サイコー