#39 選択(小山凌太郎/4年)



社会国際学群社会学類4年の小山凌太郎です。

部員ブログを書くにあたり、筑波大学蹴球部という優秀な人間が集まる組織の中で 僕を定義するものってなんなんだろうかと考えました。トップチームで活躍する選手でもないですし、外部の方からすればただの一部員でしかありません。いくつか頭に浮かびますが、その中で他の部員と少しだけ一線を画すものがあるならば、留学経験者である、ということではないかと思います。


僕は2018年の8月から2019年の6月までアメリカのカリフォルニアへ交換留学に行っていました。現地では専攻の経済学を現地の学生とともに学びました。言語のみならず、多くの素晴らしい出会いに恵まれ、また多様な価値観や文化に触れ、これからの人生を大きく変える素晴らしい時間をすごすことができたと感じています。


留学したと言えば、みな「いい経験だったね」とポジティブな声が聞かれます。


しかしながら留学を選択することは人生で最も難しい決断の一つでした。 留学を選択することは、筑波大学蹴球部での10ヶ月を諦めることを意味しました。 この選択に後悔はありませんし、何かを得るためには何かを諦めなければいけないというのは人生の常だと思います。後悔はありませんが、この決断を下すことは簡単ではありませんでした。


少し昔の話をさせていただくと、
僕は高校サッカーが終わると同時に、このままサッカー人生を終えれないと思い筑波大学進学を決めました。しかし、恥ずかしながらそれまで全く勉強していなかったため、不合格。 それでも筑波大学でサッカーがしたい一心で浪人を決め、やっとの思いで筑波大学へ進学することになりました。


いざ大学サッカーが始まると怪我に苦しみました。
それまで怪我の耐性はAと自負していた僕でしたが、浪人の影響もあったのか、足首と膝の怪我に悩まされました。(毎月のテーピング代は今でも馬鹿にできません)大学サッカーではプレーしていた時間よりも怪我をしていた時間の方が長いです。


何度も怪我をしていると、それまでサッカーだらけだった日常から抜け出し、いろいろと考える時間が増えました。そしてある日、「そういえば俺って留学行きたかったんだ」ということにふと気づきました。入学直後の社会学類オリエンテーションで、同じく蹴球部員を志していた同期の藤尾と金井に会った際、俺留学にいきたいんだよねえ、と話していたことを今でも覚えています。
当時はフレッシュマンと呼ばれる数ヶ月があまりにもしんどくて、留学の二文字はすぐに頭から消え去ってしまいましたが。


なんでそもそも留学なの?と思っている方もいるかもしれません。
本音を言うとそこまで大それた理由はなく、一番の理由は、「ただただかっこいい」からというだけでした。昔からただ漠然と海外に対する憧れを人一倍持っていたように感じます。たぶん家庭環境が大きく影響しているのではないでしょうか。 僕の父親は医者で、地域に根付いて人を助ける仕事をしています。その一方で、父親の兄弟である二人の叔父はグローバルに働いていており、小さい頃の自分には外に出ることがすごく魅力的なことにうつりました。もちろん外に出ることが正しいというわけではありません。父親のしていることは本当に素晴らしいことであり、本当に尊敬しています。


話を戻しますが、
怪我をきっかけに、英語の勉強を始めました。怪我がなければ留学はしていなかったと思います。ここで外に出なかったらこのまま一生日本から出ずに人生を終えるかもしれない。調子に乗っていますがそんな恐怖心も少しだけ持っていました 。


我ながら必死に勉強したような気がします。
朝から晩まで、時間があれば勉強していました。その時期は本当に誰とも遊んだりすることがありませんでしたし、周りから晩御飯に誘いにくいとまでも言われていました。
気を遣わせてごめんなさい。


その後、2年生の1月に交換留学生としてカリフォルニアに行けることが決まりました。留学が決まった時は本当に嬉しくて、努力が報われた、そんな気持ちになりました。しかし一方で、蹴球部と留学をもう一度天秤にかけた時に迷いました。



筑波大学蹴球部と留学。



留学を選択することは、筑波でサッカーを頑張ると約束した家族や友人、応援してくれる人達を裏切るような気持ちになりました。そしてなによりも、浪人時代の自分のみならず、今までサッカーをやってきた自分自身のアイデンティティを否定するような、そんな感覚でした。蹴球部に対する帰属意識が自分の中で薄れていくことすら感じました。



なんのために浪人してまで筑波大学でサッカーをしに来たんだろう。



留学が決まったことをチームメイトに報告した時の感情は言葉に表すことができないほど複雑でした。おめでとうと言ってくれるみんなに、やっぱり留学するのやめようかなとは言えません。だけど、こんなに素晴らしい仲間との10ヶ月を犠牲にして留学をする価値はあるのかな、そう考えずにはいられませんでした。誰かに相談したくても言い出しづらさが先行して誰にも相談できませんでした。


そんな中でも話は進み、決断したというよりは断る勇気もなく留学に行くことが決まりました。それから留学までの4.5ヶ月は、怪我に苦しめられただけでなく、留学に向けた勉強を含めた、準備の部分に関しても、なかなかやる気が起こりませんでした。情けない話ですが大学の授業にも力が入らず、単位もいくつか落としました。今思えばその時期は、心理学で言うところの「逃避」真っ只中だったように感じます。目の前の現実から逃げ、やらなければいけないことを避け続けていました。


時間は流れ、留学が近づきます。 いざ近づいてくるとわくわくしてきます。目の前の留学に胸が躍りました。しかし不安も大きくなります。本当に行くべきなのかどうか、その迷いが依然として心のどこかにつっかかってとれませんでした。


あと数日でつくばを発つ、留学直前のことでした。
同期の何人かとご飯に行く約束をしていたので向かうと、妙に置かれている皿の数が多い。おかしいなと思いながらも座ると、先に来ていた数人がニヤニヤしています。いやどうしたん、とツッこむ間も無く、突然隣の襖が開き同期のみんなが登場しました。サプライズで留学壮行会を企画してくれていたのです。あまりに突然の出来事にびっくりして、ほんのちょっとだけ涙が出てしまいました。ほんのちょっとだけ。


みんなにとっては、「どうせ小山10ヶ月後帰ってくるけどとりあえず頑張ってこいよ」ぐらいだったかもしれません。でも僕にとっては本当に嬉しくて仕方ありませんでした。 その時の僕にとっては浪人したことも、留学することもとりあえず全部All Rightみたいな。Every little thing’s gonna be alrightみたいな。ボブマーリーが心の中に登場します。うまく書けませんが本当にそんな感覚で、心の中に引っかかってたものが全部なくなっていくような感じでした。みんなに応援してもらえているという感覚なのか、はたまた少しの勘違いだったのか。もはやどっちでもよくて、留学に最高の状態で臨むことができました。



自分の選んだ道に迷いはもうありませんでした。



乗り換えを含めると17時間にも及ぶフライトを終え、サンフランシスコ国際空港に夜中到着しました。これからの予定を立てようと手帳を開くと、そこには一枚の紙挟まれていました。開いてみると、めちゃくちゃ汚い字で様々な思いの丈が 書きなぐられていました。応援メッセージから、将来のことまで。追い討ちのようなサプライズに胸が熱くなり、周りに人がいないことを確認してにやけながら、少し泣きそうになったのを覚えています。ともやありがとう。


長いような短いような10ヶ月が終わりました。


そして僕は今つくばにいます。


蹴球部のユニフォームを着て、一グラでサッカーができることがこんなにも幸せなことだったなんて。蹴球部の仲間と過ごす時間がこんなにも幸せだったなんて。当たり前とは当たり前じゃなくなるまで気づかないものです。外に出て気づくこともあります。


大学ラストイヤー。


なにがなんでも勝って終わりたい。笑って終わりたい。
蹴球部の仲間と、お世話になるコーチと、そして同期のみんなと、もっと長くもっと濃い時間を共にしたい。

僕の所属するTSCチームは今週末にホームでリーグ最終戦を迎えます。

勝てば優勝、関東リーグ参入戦へ。負ければ引退。

こんなに緊張とワクワクが入り混じった試合ができるなんて本当に幸せ者です。

応援してくれるみんなのために頑張りたい。

ありきたりですがこの言葉に尽きます。

全身全霊をかけて戦います。

応援宜しくお願い致します。


筑波大学蹴球部4年
社会国際学群社会学類
小山凌太郎